落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「ギャンブル」。
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ギャンブルのどこが面白いのかわからない。
競馬・パチンコ・パチスロとそれぞれ誘われてやったことはあるのだが……馬券を買う、玉を買う、メダルを買う……その時点で、
「あー、もったいない。この金で何か買えるのに……」
と思ってしまう。
私は根本的にギャンブルに向いていないのだな。
初めてパチンコやったとき、台の前に座って、ハンドルをひねったら、玉が穴に入った。ジャラジャラと箱が埋まっていく。なんだこりゃ、だ。これがビギナーズラックというヤツか。
気分が高揚すると思いきや、まるでテンションが上がらず、急にシューンと冷めていった。
「簡単に当たりがくるなんて、世の中そんなにうまいコトばかりなはずがない。なんかしっぺ返しがあるに違いない。こわー」
と身構えてしまった。
決して「ラクして儲けるのがうしろめたい」なんて真面目ぶってるわけじゃないのですよ。ただ機械に左右されて当たったり、外れたりというギャンブルにあまり魅力を感じないのだ。
だから、買って当たるのをボンヤリ待つだけの宝くじなんてまるで興味がない。
よく「当店にて1億円の当選くじ出ました!」なんて宝くじ売り場に貼ってあるが、アレ自体が嘘なんじゃないかと疑っている。証拠を見せてほしい。当人を店先に立たせて、豪遊生活を語らせるとか。
……こういうことなら熱くなれるが、宝くじ自体にはまるで熱くなれない。あんなもの並んで買う人はよっぽど暇人だと思う。それを遠くから見てる私はもっと暇人だ、と家内が言った。
子供の頃、駄菓子屋でヨーグルトのまがい物みたいなちっちゃい菓子を売っていた。
ふたの内側に当たりマークがあればもう一つもらえるのだが、友人が当たるまで意地で買い続けて、とうとうおなかをくだしてしまった。
一つめくっては悔しがり、一つ食べてはもう一つ……を繰り返す。彼はヨーグルトのまがい物を食べ続けるだけのマシーンと化していた。それを止めもしない駄菓子屋の婆さん。翌日、彼は学校を休んだ。
子供ながらに呆れるを通り越して哀しかった。
紐の束から1本引っ張ると、大小様々なあめ玉が当たるくじもあったな。デカいあめ玉を当てた友達は一人もいなかった。
駄菓子屋の婆さんの目を盗んで、先に大きいあめ玉を引いといて当たりの紐を探ろうとしたが、大きいあめ玉の紐は極端に短くて先が繋がってなかった。婆さん、細工してやがる。
怒りを通り越して哀しかった。みなで訴えると、翌日からやたらと大きいあめ玉が当たるようになった。
単純に喜んでいた我々子供たち。大きいあめ玉は舐めづらい。みな、口の端々からよだれを垂らしながらニヤニヤしている。そんなにうまくもないあめ玉を恍惚の表情で舐め続ける子供たちを見つめながら、小銭を勘定する駄菓子屋の婆あ。
ギャンブルはホントに恐ろしい。ほどほどにしたほうがいい。
※週刊朝日 2016年4月15日号