日本のゴルフ界を牽引してきたプロゴルファーの丸山茂樹氏が、高校時代の恩師との思い出を振り返った。
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3月末に、母校の日体荏原(えばら)高校(東京都大田区)へ行ってきました。「ゴルフ部復活の会」に参加してきたんです。
自分で言うのもなんですけど、荏原のゴルフ部は全国高校選手権で5度の団体優勝を果たした名門です。卒業生は僕を含め16人もプロゴルファーになってます。それが次第に部員数が減って、10年ほど前に同好会になったんですね。いまは女子生徒ひとりだけという状態で。
去年は学校創立110周年だったし、ゴルフ部は今年創部40年だし、何とかゴルフ部を再建しましょうよということで、「復活の会」を開いたというわけです。
4月から、僕の日大時代のコーチだった佐藤文宏さんが監督、荏原の先輩であるプロゴルファーの増田健さんがコーチに就任しました。僕も新入生の勧誘だったり、チームがしっかりしてきたら、技術的なレクチャーだったりで、お手伝いできればと思ってます。
高校時代はね、ほんとにいろんな思い出がありますよ。1985年、僕が1年生のときに荏原が全国で団体の初優勝をするんです。
荏原のゴルフといえば山下七郎監督なんです。荏原の教員で、長らく監督を務められ、2001年に66歳で亡くなられました。
まあこれが面白い先生でね。かつて日本の委任統治領だったサイパン生まれ。ほんと怖い先生だったから、「鬼のサイパン」って呼ばれてました。「俺はなあ、サイパン島アスリート村字チャチャで生まれたんだ」ってのが口癖でした。ほんとにそんな地名があるのかどうか知りませんけどね。
山下先生はゴルフは全然ダメで、技術指導なんかしません。もう人間指導というか、精神指導というか。話は面白いし、僕らの話をちゃんと聞いてくれる懐の深い方でした。僕はほんとにいっぱい怒られましたけど、あるとき他の学校の生徒とケンカになったんです。そのとき先生は頭ごなしに怒ったりせず、ちゃんと理由を聞いた上で、僕をかばってくれました。
問題を起こして出場停止になった生徒がいても、見捨てることなく、その生徒も含めて「みんなで力を合わせてやろう!」と。チームを一つにさせるのが、上手な人でした。だから黄金時代を築けたんですね。
僕が日大に進んでプロになってからも、「頑張ってるじゃないか」と連絡をくれました。あるとき、「俺の願いを聞いてくれ。マスターズに行きてえんだ」って言うから、僕の何回目かの出場のときに、一緒に連れていってあげました。
その数年後に亡くなられて。そのとき僕は「ああ、先生もう長くないって感じてたから、マスターズ行きたいって言ったのかなあ」って思いましたね。
02年に僕は伊澤先輩と組んで、メキシコでのワールドカップで優勝しました。ふたりでボールにサインをして、先生の墓前へ供えてもらいました。
※週刊朝日 2015年4月24日号
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