玉村豊男たまむら・とよお 1945年、東京都生まれ。エッセイスト、画家。長野県でヴィラデスト ワイナリーも営む。著書に『千曲川ワインバレー』(集英社新書)など(撮影/写真部・植田真紗美)
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玉村豊男
たまむら・とよお 1945年、東京都生まれ。エッセイスト、画家。長野県でヴィラデスト ワイナリーも営む。著書に『千曲川ワインバレー』(集英社新書)など(撮影/写真部・植田真紗美)
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 今年も大学受験のシーズンが終わった。エッセイスト、画家の肩書のほか、ワイナリーの経営者でもある東京大学文学部卒の玉村豊男(たまむら・とよお)さんは、人生の転機が大学在学中にあったという。

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 大学時代は人生のターニングポイントでしたね。

 第二外国語を一つ究めたいと思って、なんとなくフランス語を選んだんです。日仏学院にも通い、3年から仏文に入りました。

 奨学金をもらって1968年の9月にパリへ行き、70年の4月に帰ってきました。68年といえば、世界中で学生運動が盛り上がった年。パリでは五月革命が起こり、日本では翌年1月に東大の安田講堂事件が起きました。留学先の学校も閉鎖され、半年くらい授業が始まりませんでした。

 暇だったので旅行でもしようと、年明けにドイツへ行きました。ユースホステルで出会った日本人がヒッチハイクを教えてくれて、それから放浪が始まりました。中欧から北アフリカまでずいぶんまわりましたね。

 アルバイトも結構あったんです。JALのパリ支店へ行くと通訳の仕事を紹介してくれたので、お金がなくなると、パリに戻ってきて。勉学はあきらめた、という感じでした(笑)。

 でも、この旅のおかげで各国の食文化に興味を抱き、そこから食べ物にのめり込んでいったんです。帰国したのはちょうど大阪万博があった年。通訳のアルバイトがたくさんありました。海外旅行も増え、ツアコンの仕事も多かった。大学4年で帰国したので、就職のことはちんぷんかんぷん。「またフランスへ行きたいな」という理由で、JAL本社の人事課に押しかけて、「就職したいんですけど」と言ったけど、門前払い(笑)。その足で奨学金をくれた事務局へ行ったら、同系列のフジテレビの2次試験に特例で入れてくれた。でも、マラソンまでやらされ、こりゃ気質が合わないと思い、辞退しちゃった。

 通訳や翻訳で食いつないでいるうち、自分で書きたくなり、片っ端からエッセーなどの懸賞に応募したら、「アサヒタウンズ」で1等をもらいました。そのあたりから文章で身を立てていくことになりました。

 今はワイナリーもやっていますが、大学生のときはそんなこと夢にも思ってなかった。人生何が起こるかわかりません。だから、大学時代に自分の人生を決めようなんて思わないほうがいいんじゃないかな。みんな、自分の人生は自分で選んでいると思っているけど、そんなに選択肢はないんです。大学も就職も、結婚もそう。偶然与えられたものを、自分のものとしてつかみ直し、「これでやろう」と思えるかどうか。「選び直す」という言葉を僕は使うんだけど、それが大事だと思います。与えられた条件がベストなんだから、その中でうまくやる方法を考えなくちゃいけないんです。きっかけは偶然であっても、それを面白がることができれば、結果がついてくると思います。

週刊朝日  2015年3月20日号