西武ライオンズのエースだった東尾修氏は、現役選手はシーズンで結果が出せるよう自主トレを生かしてほしいとこう語る。

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 2015年。新しい年が始まった。希望に満ちてプロの世界に飛び込んだルーキーたちが続々と入寮。昨年活躍した者はさらに進化を求め、苦しんだ選手は、逆襲を誓う。マスコミの自主トレ報道で写真などを見ても、みんな目に力が宿っている。私も選手たちから元気をもらっているよ。

 この時期になると、私自身の現役時代の自主トレを思い出すよな。例年、だいたい1月5日くらいかな。だいたいゴルフ場からスタートを切っていたな。18ホールのうち、ミドル、ロングのホールは第1打を打つと走る。両手にウッドやアイアンを持って走る。当時のゴルフシューズは鉄の歯が付いていたから重い。だいたい1日3キロ近く走る。当初はジョギング程度だが、1月中旬を超えるとダッシュに近くなる。下半身のよいトレーニングになったよね。

 西鉄時代は平和台球場に選手が集まって合同自主トレをやった。うさぎ跳びやタイヤ引きなど、今では到底考えられない練習を繰り返した。腹の筋肉が笑って、足は痛い。和式のトイレしかなかったけど、痛くて座れなくて中腰だった。とにかく体に負荷をかけるトレーニングばかりだった。

 だが、自分の中でビジョンは持っていたよ。とにかく1月の自主トレは、“キャンプで投げるための下半身作り”がテーマだった。とにかく、下半身を大きく使って投げられるようにすること。投球の発射台となる下半身が使えなければ、投球は小手先になる。1月はとにかく土台作りに専念した。

 そして、2月のキャンプでは、今度は「シーズンで投げる本番用の下半身を作ること」を念頭に置いた。2日に1度、200球近く投げる中で作る下半身。私にとっての目安は2月10~14日の間に決まって来る「左のお尻の張り」だった。踏み出した左足でしっかりと受け止め、体重を乗せて投げられなければ、絶対に出てこない張り。自分のバロメーターだった。

 西武時代はとにかく若い工藤公康、渡辺久信に「傾斜で投げることで、投げる上での下半身ができる」と言い続けてきた。打者だってスイングの中で作る体がある。私も高校を出てプロに入ってすぐにはわからなかったが、マウンドで遊ぶ、なじむ作業が大事だと知って、一流の仲間入りができたと感じられたよね。

 一つひとつの練習の意味を理解することが大事。例えば、精神修行だって立派な練習だよ。過酷で地道なトレーニングを突き詰められるか。逃げてしまっては身にならない。稲尾和久さんが西鉄の監督1年目の1970年だったかな。ヨガの道場に行けと突然言われた。私と河原明、柳田豊の3人。精神は鍛えられたよ。食事もろくに摂れないから、胃袋が小さくなった。節制の大切さが勝手に染みついたよ。この年はプロ初勝利を含めて11勝できた。

 今はフロリダやハワイ、グアムといった海外自主トレを行う選手も増えた。個人トレーナーを雇うだけの高額の年俸も手にできる時代になった。技術的、肉体的な革新は大いに結構だ。そこに温故知新じゃないけど、先人たちの精神の強さも加われば、もっと飛躍できる。これまでの常識を突き破るような選手たちの活躍を、夢の中だけでなく、実際のグラウンドで見るのが楽しみだ。

週刊朝日  2015年1月23日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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