脚本家の倉本聰(くらもと・そう)さんが、東日本大震災で被害を受けた福島の原発事故をテーマに書き下ろした演劇「ノクターン」を来年1月以降、全国公演する。公演を前に、福島県出身のクリエーティブディレクター箭内道彦(やない・みちひこ)さんと、表現することについて語り合った。
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倉本:僕は80歳を前にしても大人になりきれない。富良野塾を26年続けましたが、40人いる塾生に一斉に刃向かわれたときケンカできるかを、僕の中の基準にしてきました。ケンカは半分気力だから、腕力で負けても勝てる自信がある。だから続けてきた。でも今の若者の無感動無反応には勝てない。とてもつきあっていられないという気分になってしまった。
箭内:「何クソッ!」とか「意地でもやってやる」といった感じは薄いですね。でも、世の中の役に立ちたいと考える若い人は少なくありません。特に東北には未来を背負いすぎている人もいて、少し心配です。例えば東京の大学に進むのに「故郷を捨てたと思われるんじゃないか」と罪悪感を覚える。10年、20年武者修行して力をつけて地元に戻るという手もあるはず。
倉本:一方で、原発事故にどうしても怒りが収まらず、苦しんでいる人がいます。僕が、福島の子どもを疎開させるべきだと地元紙に広告を載せたら、いろんな人から手紙が届いたんですが、浪江町の67歳の住職の女性は「総理大臣や東電に書いても返事がこない」と怒り狂ってて。僕は会いに行ったんだけど、一向に怒りが収まらない。「怒り続けるのは損だ。結局あなたに跳ね返ってくる」と説得しても、ますますエスカレートして。
箭内:傷は時間が経てば癒えるとか、問題は時間とともに少なくなるとかいいますが、実は逆でしょう。あの事故がなかったら生まれなかった人間関係から新たな問題も出てきたりもして、むしろ今が一番つらいという人が少なくないんです。
倉本:福島の人たちは抱える問題があまりに複雑で量も多い。それを僕らがどう描けばいいのか。舞台では最後に必ずロビーで観客の皆さんをお見送りするんですが、今回の福島公演は今までで一番怖い。
箭内:そうおっしゃりながら技術を駆使して演劇を創作し、感動につなげていくことに、すごく意味があると思います。僕はドキュメンタリーのような直接的表現のほうが伝わると思った時期もあるんですが、物語になることで自分事としてとらえられるのかも、と感じて。NHKの朝ドラの「あまちゃん」は、「地震や津波がこないように」との投書が殺到したという。物語の力はそこにあるんだと震災後に改めて知りました。
倉本:僕はね、映画やテレビが嫌になったんです。自分が書いたものの意図とは、演出家や役者が違う受け取り方をして表現しちゃうんです。でも自分が演出したら最後まで責任が持てる。今回、舞台にしたのも、そんな意図がある。
箭内:僕も自分の作品を誰かに渡したくないです。そこは大人になりきれない。
倉本:大人になれない者同士、僕らは表現者として似ているかもしれません。
※週刊朝日 2014年12月5日号より抜粋