プロゴルファーの丸山茂樹氏は、海外に出た選手はその経験を周囲に伝えるべきだと理由をこういう。
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いやあ、松山英樹(22)がうれしいことを言ってくれたみたいですね。
米PGAツアーのCIMBクラシック(10月30日~11月2日、マレーシア・クアラルンプールG&CC)開幕の2日前。公式記者会見に出席した英樹に、海外メディアが「アジア勢が世界で戦う意義」について質問しました。その答えの中で、こういう趣旨のことを言ったそうです。
「海外に出た選手は日本に戻ったときに、海外での経験を伝えないといけない。僕は丸山茂樹さんがいろいろ教えてくれたおかげで、すごく成長できました」
この言葉を伝え聞いて改めて、僕には尾崎直道さん(58)の存在が大きかったと実感しました。僕が2000年に米ツアーへ本格参戦して9シーズン頑張れたのは、直道さんが道を切り開いてくれたからです。
直道さんは1993年から米ツアーに参戦されて、8年間にわたってシード権を守ったんです。93年といえば、僕はプロ2年目。アメリカに打って出て、そこで根を張っていく直道さんをまぶしく眺めていました。直道さんがいてくれたからこそ、「日本人でも頑張れる」という気持ちが大きくなっていったんです。
日本勢で最初に米ツアーで勝ったのは、83年のハワイアン・オープンを制した青木功さんですけど、長年シード権をキープしたのは直道さんが最初でした。何だか僕が米ツアー進出の先駆者みたいに言われることもあるんですけど、とんでもない、とんでもない。
直道さんって、気軽に練習ラウンドを一緒に回ってくれるようなタイプじゃないから、そういうのはなかったんですけど、着実に結果を残してきたっていう足跡が、あとに続く僕の自信になりました。足跡って、やっぱり大事。僕にとっては尾崎直道さんの足跡が頼りだったんです。
だから冒頭の英樹の言葉にあるように、帰国した際やアメリカから引き揚げてきたあとは、経験してきたことを後輩たちに話すようにしてきました。一方で、日本ゴルフツアー機構(JGTO)にも、トーナメントの運営なんかについて意見してたんです、当初は。
例えば選手の家族への対応ですね。家族が試合を観戦に来るのは当たり前だから、そのつどゴルフ場へ入る許可証を申請させるんじゃなくて、通行証に代わるバッジをつくればいいんです。こんなのは米ツアーでは当たり前。いまは日本でも採用されてますけど、実現まで時間がかかりすぎ。
選手に負担をかけないという視点からは、JGTOが会場のクラブハウスと提携して、もうちょっと食事を安くする工夫をしてほしいと言いました。これはいまも改善されてないですね。アメリカなんか、何もかもタダですから。
歴代優勝者への配慮もなかった。僕は日本ツアーで通算10勝してますけど、去年まで解説の仕事でゴルフ場に行くときは、毎回バッジをつくってもらわないといけなかった。アメリカだと、僕は米ツアーで優勝してますから、家族も含めてどの試合でもゴルフ場に入れるバッジがもらえる。
こういったことが日本ですばやく実現できないのが残念です。米ツアーに学んで、いいものはどんどん採り入れていってほしいですね。
※週刊朝日 2014年11月21日号