北海道・東川町で行われた子ども向けのイベントで。休憩時間に子どもたちは石川を取り囲んで質問攻めにし、甘えておぶさってくる子もいた。石川は子ども向けの本を何冊も書いている(写真=東川哲也)
北海道・東川町で行われた子ども向けのイベントで。休憩時間に子どもたちは石川を取り囲んで質問攻めにし、甘えておぶさってくる子もいた。石川は子ども向けの本を何冊も書いている(写真=東川哲也)

■野田知佑の言葉で大学進学 北磁極から南極点まで踏破

 中学2年で「青春18きっぷ」を使い、野宿しながら坂本龍馬を生んだ高知県に初めての長い一人旅をする。高校2年の時には沢木耕太郎の『深夜特急』に刺激を受け、インドとネパールへ渡った。1カ月にわたる、学校には内緒の旅だった。

「旅費を作るために引っ越し手伝いのバイトをしたし、親からもらう昼食費を浮かそうと毎日同級生から弁当を少しずつ分けてもらっていました」

 ガンジス川では流れていく死体を見、怪しい男たちに追いかけられて危ない経験もした。ネパールでは美しいヒマラヤの高峰を仰いで「いつか自分も登ってみたい」と思った。帰国後は街角でアンケートに答えたことをきっかけに学生向けの小冊子で「高校生でも行けるインド」の連載を始め、写真の掲載や取材・執筆を行っている。撮影したり書いたりすることはもともと好きだった。これでは普通の高校生活が物足りなくなったのも無理はない。受験勉強には全く身が入らなかった。

「当時は上から押さえつけてくるものには何にでも反発していたので、高校を出ても大学には行かなくていいんじゃないかって思ってました」

 当然のように浪人生活へ。どうすればよいか宙ぶらりんな気分だった時に電話したのが、以前面識を得ていた野田だった。

「鹿児島の錦江湾にある磯の海水浴場に来いって野田さんに言われたので、躊躇(ちゅうちょ)なくテントを持って出かけました。でも住所を聞いてなくて」

 浜にテントを張り何日も野宿していたらたまたま野田の知人に声をかけられ、本人に会うことができたのは幸運だった。野田は石川を子ども扱いせず一人の人間として話してくれる大人で、彼の言葉は石川の心にすんなりと入ってきた。

「『お前は大学へ行け』と言われました。大学へ行ける環境にあるのは恵まれたことだし、学生の間は猶予期間でもある。まして、ライターやジャーナリストになりたいなら行っておいた方がいいと」

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