財界の「強硬派」が、今年の春闘で安倍政権の要請に沿う形で、大企業が軒並みベースアップ(ベア=月給を一律に引き上げること)をはじめ6年ぶりの本格的な賃上げに踏み切ったことの「見返り」に、「残業代ゼロ」制度の実現をねらっているという。

「残業代ゼロ」に悩む人は、いまでもいる。もちろん「違法」だが、「合法」になったら、どうなるのか。九死に一生を得た事例を紹介する。

 ある運送会社でトラック運転手を務めるAさん(45)の仕事は過酷だった。

 日曜日は休みだが、月曜日の午前3~5時には都内にある荷主の倉庫に着いていなければならない。冷凍食品などを積み、遠くは新潟県、福島県の卸売市場やスーパーなどに運んでいく。数カ所で荷を下ろすと、昼ぐらいになる。

 そこから一般道を使って倉庫に戻る。この時点で夕方になっている。

 だが、これで帰宅できるわけではない。午後4~9時には、翌日運ぶ荷物の積み込みを始めなければならないのだ。届ける時刻は指定されている。多くは、最初の配送先に午前5時。新潟や福島の場合もあった。

 
 倉庫から自宅まで2時間半ほどかかる。睡眠時間を確保しようと帰宅をあきらめ、早めに目的地に着いてトラックの車内で仮眠をとっていた。トラックには布団や着替えも積んでいた。

 最後の荷下ろしが終わると、やはり昼ごろになる。それから都内の倉庫に戻って──この繰り返しが続いた。18時間働く日もあった。

 さらに厳しかったのは、荷主の倉庫でただ待っていることだ。荷主はぎりぎりまで買い注文を受けており、「何をいくつ、どこに運ぶのか」がなかなか決まらない。こうした待機は、長いときには16時間に及んだ。

 その間、トラックから離れるわけにはいかなかった。冷凍食品を積むときにはエンジンをかけたまま、トラックの冷凍庫の温度を管理する必要があったからだ。

 こうした勤務で、1週間ずっと自宅に帰れないこともよくあった。労働時間は、なんと月400時間に達することも。労基法で定められた「1日8時間、週40時間」の2倍以上にもなる。

 当然、体は無傷ではいられない。入社から2年足らずの05年8月、トラックを運転中に左右の脇の下に差し込むような激痛が走った。大量の鎮痛剤をラムネ菓子のようにかじり続けても治まらない。配送先で「救急車を呼ぼうか」と心配されるほどの状態になった。

 その日はなんとか勤務を終えて自宅に帰ったが、翌朝には我慢できずに救急車を呼んだ。病院に搬送される途中で目の前が真っ暗になり意識を失った。

 
 心筋梗塞だった。

 このときは幸いにして2週間あまりで退院できた。それ以降さすがに労働時間は短くなったが、いまでも1日に計8錠の薬をのむ。

 当時のAさんの給与明細書を見ると、「残業手当」の項目がない。Aさんは翌年、勤務先に対して04年2月~06年2月の時間外手当が不払いだとして請求。のちに和解が成立した。

 今年4月分の明細書(右上の写真)には、右上に「残業手当」という欄があり、15万円あまりの金額が記されている。しかし、残業時間がどこにも書かれていない。どんな計算をしたのか。

 Aさんによれば、「残業手当」とは「支給」の下段にある「職能給」「成績給」「安全給」などの合計だという。会社の賃金規程でも、職能給などの各手当を残業手当にかわるものとして支給すると定められている。

「職能や安全運転などの手当がなぜ残業代なのでしょうか。結局、和解以降も残業代が支払われていない」(Aさん)

 
 Aさんは12年9月、13年12月と2度にわたって勤務先を訴えた。10年2月~13年8月の時間外手当など合わせて約895万円の支払いを求めている。

 実は以前から、会社の給与体系に疑問を抱いていた。

「会社を辞めると給与制度を正すことができないので、辞めずにがんばります」

 ここまでAさんの証言を紹介してきた。これに対して、この運送会社は、

「係争中なので、コメントは差し控えます」

 としている。

「『残業代ゼロ』を悪用しようとする経営者は必ず出てくる。注意しなければいけない」(別の経営者)

 このままだと、「明日はわが身」になりかねない。

週刊朝日  2014年6月6日号より抜粋