ノーベル平和賞も可能だったほど献身的にボランティア活動を行っていたダイアナ元妃。皇室英王室に詳しい文化学園大学客員教授の渡邉みどり氏はその理由についてこう話す。

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 1986(昭和61)年5月11日、筆者が実物の妃を初めて見た場所は東京・青山のホンダの駐車場だった。

 初の公式訪問のハイライトはパレード。スタート地点に立つ英国皇太子妃は178センチの長身で、白と紺でまとめたスーツを着こなす。美しく気品あふれる彼女のオーラを直近1メートルで見た時の感動は思わず仕事を忘れてしまうほどだった。

 当時24歳。皇太子妃として、国民と王室に2人の王子を与えたプリンセス。女性は子供を産み体が回復した時が一番美しい。妻、母、皇太子妃として公務を果たすダイアナ妃の若さと気品は36年の短い人生の中でこの時が最高だったと思う。

 日本でも人気の高いダイアナ妃は恋多き女性としても有名だ。3人目は女の子を望んでいたにもかかわらず、夫との寝室は別。若い妃はカミラ夫人と皇太子の不倫に傷ついていた。彼女は夫の不倫に不倫で対抗するしかなかったのだ。

 メディアに登場したダイアナ妃の恋人はチャールズ皇太子とは全く別のタイプ。長身で、濃い顔がお好みだったようだ。幼なじみで「ジン」の御曹司、銀行家、古美術商、馬術のコーチ、英国ラグビー界のスターなど、ちょっとした火遊びから真剣な恋まで、彼女が日替わりで情事を重ねていったのには驚く。

 最後の恋人はドディ・アルファイド氏。ハロッズデパートのオーナーを父に持つ彼は、物量で元妃に迫り、高級宝石店レポシの30万ドルもする婚約指輪を準備していた。その指輪を贈ることなく神に召されたアルファイドも哀れである。

 果たして彼は最後の恋人だったのだろうか。実は彼女には心から尊敬し愛する別の男性がいた。そんな秘められた愛を描いたのが、今月18日に公開された映画「ダイアナ」だ。監督を務めたのは「ヒトラー 最後の12日間」で高い評価を得たドイツ人監督のオリヴァー・ヒルシュビーゲル氏。映画は、チャールズ皇太子と離婚し王室を離れた元妃がパキスタン人医師ハスナット・カーン氏と出会い、ハスナットの影響で地雷廃絶運動や人道支援活動に力を尽くす姿など、事故死直前の2年間を中心に描いている。

 ダイアナ元妃は医師という立場で人々の命を救うハスナットに心引かれていたようだ。実際、元妃は彼の家族に会うためパキスタンを2度も訪問している。彼が医師として人を助けるなら、自分は元英国皇太子妃という立場で人々を助けようと思ったのだろうか。王室という金の鳥かごを飛び出した彼女は「ピープルズ・プリンセス」と呼ばれていた。

 ハスナットは仕事第一の男性だった。しかし、元妃を失って初めて彼女の存在の大きさに気付いたのかもしれない。“国民葬”にはサングラスをして目立たぬように参列していた。

 悲劇的な死は人を美化する。しかし彼女のノブレスオブリージュ(高い地位にある者は重い責務を果たす必要があるという考え方)は本物であった。もし彼女が生きていたらノーベル平和賞を受賞していただろうし、東日本大震災のお見舞いに4度目の来日をしていたに違いない。

週刊朝日  2013年11月1日号

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