個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、方言について。
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もう20年以上前のことだと思いますが、オリンピックで思うような成績を残せなかった選手が競技後のインタビューで「まあ、こんなもんちゃいます?」とあっけらかんと答えていました。良いなあ関西弁、と僕は思いました。4年に一度の大舞台、言い知れぬプレッシャーや努力があっただろうに、悲壮感を感じさせない言葉、というか語感。「まあ、こんなもんちゃいます?」。この語感には、周囲の、そして自分自身の肩に入った余計な力をふんわり抜いてくれる効能がある、と言ったら少し大げさでしょうか。
僕は愛知県で育ちました。上京して、「ケッタ」が通じなかったことに衝撃を受けました。ケッタとは名古屋弁で自転車のことです。東京では「チャリ」と言わないと通じないと知りました。
ちなみに「熱い」を名古屋弁では「チンチン」と言います。言うんです。言うんだから仕方ありません。「お風呂入ろうと思ったらお湯がチンチンだでよう入れーせん!」「風呂入っとったらお湯がチンチンになってきたで俺のチンチンもチンチンになってきたがや!」。ごめんなさい後ろの方は嘘です。いや、そういうことも可能性としてはあり得るでしょうが、お湯がチンチンになってきたら己のチンチンがチンチンになる前にチンチンになったお湯から己のチンチンを出すのが先決でしょうから、やめましょう怒られます。僕も僕のチンチンも怒られます。いや僕のチンチンが怒られることはないでしょうが、ホントやめましょう。コンプライアンスに抵触する前にチンチンは撤退しましょう。
妻の郷里、群馬では、いわゆる「大」の方を催した時、「ウンチ出たい」と言うそうです。「ウンチ出したい」ではなく、「ウンチ出たい」。あの~、品のない言葉が続いておりますが、今回は「方言の尊さ」について書いておりますのでどうかご辛抱を。