「事務所にも内緒だったけど、あれで私の『清純派』のイメージがふっきれたんですもの。きっと、あのまま『清純派』を気どっていたら、私、精神病院行きだったかもしれないな」

 つまり、彼女はアイドルがヌードによって過去のイメージを脱却して新たなステージへと進む、という手法の第一号となった。これはやがて「アイドルヌード」の定番と化していく。91年に宮沢りえが脱ぐまでは、この松本ちえこ型が主流だったのだ。

 こうしてひとつの歴史を作った彼女は、にっかつロマンポルノに進出。その後は女優・タレントとして地道に活動を続けた。が、90年に「未婚の母」となることがわかり、また世間を驚かせることに。娘を出産後、6歳下のミュージシャンと入籍して、しばらくは育児に専念することとなる。

 やがて、育児が一段落したのを機に活動を再開。当時のブームにのって、ヘアヌード写真集も出した。その後、夫とは離婚したが、娘が芸能界入りしたことにより、バラエティ番組での母娘共演も実現。娘は一般人と結婚して、一児の母だというから、孫にも恵まれたわけだ。

 亡くなったのは11月17日で、同居していた娘が発見。前日まで元気だったようだ。また、死の前月には「フォークソングカフェ」というブログがアイドル時代の彼女のことを取り上げており、そのコメント欄を見たら、11月25日に「匿名」で「昨晩 お通夜でした」という短い書き込みがされていた。

 60歳という年齢も含め、一世を風靡した芸能人の最期としては淋しい印象もなくはないが、ネットではかつてのファンを中心に惜しむ声や懐かしむ声が数多く見られた。実際、彼女ほど親しみやすさを感じさせたアイドルはなかなかいない。また、30歳以降の活動が少ないため、そのイメージはもっぱら若いころのまま保たれているともいえる。

 とりわけ70年代に青春をすごした世代にとっては、ひとつの時代が去り行くことを感じさせる、記憶に残る死になりそうだ。 

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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