松本ちえこさん (C)朝日新聞社
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 松本ちえこさんが大動脈瘤破裂のため、60歳で亡くなった。多くのメディアは「タレント・女優」として紹介しているが、ある世代以上の人にとっては「アイドル」としての印象が強いだろう。

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 74年に「お小遣い稼ぎのつもりで『ものまね番組』に出た」のがきっかけで歌手デビュー。2年後、16歳のとき、資生堂・バスボン石鹸シャンプーのCMに起用され、注目された。「まんまる顔の女の子はいい妻になれるって」とたどたどしく歌うCMソング(「バスボンのうた」)が人気を博し、CMからブレイクしたアイドルの先駆けといえる。その勢いでサードシングル「恋人試験」はオリコン5位のヒット曲となった。

 この曲は、男性相手にテスト形式で自分に関する質問を繰り返したあと「知っているのにワザとまちがえる」ような「65点のひとが好き」と、オチをつけるというもの。彼女自身、庶民的でちょっとはすっぱな、普通のコっぽい可愛さが売りだったし、日本中の普通の男子をその気にさせるような、アイドルソングの極意というべき内容だった。それとともに、受験戦争などという言葉が盛んに使われる時勢も反映していたわけだ。

 また、シングル5作目の「ぼく」は当時現れ始めていた男の子の一人称で話す女子(最近でいう「ボクっ子」)の心象風景を歌にしたもの。ちなみに、前出の「バスボンのうた」はまだ世間的に無名だったコピーライターの糸井重里が作詞していたりする。70年代を象徴するアイドルといえば、山口百恵やピンクレディーが代表的だが、彼女もまたそのひとりであり、時代の先取りもしていたのである。

 ただ、歌も芝居も抜群に上手いわけではなく、所属事務所も小さかったから、絶頂期は短かった。78年には映画「博多っ子純情」でヒロインを務めたものの、その直後に妊娠疑惑騒動が発生。アイドルとしてのイメージは低落した。

 しかし、ここで彼女は本人いわく「賭け」に出る。「PLAYBOY」79年12月号でヌードになったのだ。「20歳・女への出発(たびだち)」と題された全15ページのグラビアは話題になり、彼女は男性週刊誌の対談企画などに引っ張りダコになった。2年後には、こう振り返っている。

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にっかつロマンポルノにも進出