「地形的にもトルコ側は絶壁になっている。(中略)多国籍軍は、トルコ側よりも緩やかなイラク側に安全地帯をつくり難民キャンプを設営する――つまり、難民たちを彼らの自国で守ることを考えた」

「従来の原則に則れば、イラクから人々が国境を越えて逃げてくるまでは私たちはノータッチだ。しかし、一番大事なことは苦しんでいる人間を守り、彼らの苦しみを和らげることであり、その場合、『国境』というものがどれほど実質的に意味があるのだろうか」

 現場からの報告を本部で受けるだけの指導者なら、前例にならった判断しかできないだろう。現場を見ているからこそ、従来の原則にとどまらない、状況に応じた判断ができる。そうだとわかっていても、それを実行できる指導者はさほど多くはない。

■難民問題で直言も

 難民高等弁務官、JICA理事長として難民支援の現場に長年かかわってきた緒方さんは、中東の危機、とりわけ大量の難民、国内避難民を生み出しているシリア内戦の行方に気をもむ。
 特に諸外国に比べても難民受け入れに消極的な日本政府の姿勢について、「けちくさい『島国根性』じゃないか。『積極的平和主義』というのなら、もう少し受け入れなければならない」と語るほどだ。

 緒方さんは世界の行方をどう見通していたか。米同時多発テロ事件が起きた2001年9月の翌月に米ハーバード大で講演した「グローバルな人間の安全保障と日本」の指摘は、「自国第一」を掲げるトランプ氏が米大統領に就任し、日本とアジアとの緊張関係が続く2017年の世界に対する警句のようだ。

「ここ数年、私は日本とアメリカの両国において内向き思考が進んでいることに不安を募らせてきました。国際的責任という意識が後退し、外交政策がポピュリズムに左右されるようになっていると感じていました」

「日本の指導者は日本の国是についての明確な感覚を失いました。内向き志向はナショナリズムを生み、外交は沈鬱な国内のムードを反映するものとなりました。日本の経済も安全もグローバルな基盤に依存しているという認識が失われてしまいました」

 あまりにも的確な先見性ではなかろうか。

 島国日本が、「日本はすばらしい」と自賛し、日本だけの繁栄や心地よさを求めればどうなるか。緒方さんは私にこう語っている。

「すばらしかったらそれを広めるということが一つの使命です。この国は物がなくなったりもしないし、犯罪もひどいわけじゃない。やや、心地よすぎるのです。だけど、ほかの国も心地よくならないと、いつかは、私たちも心地よくなくなる。それをもう少しはっきり認識することが必要ではないかと思います。いくら島国だって日本だけカンフォタブルではいられないから」

(石合力[いしあい・つとむ]/東京本社編集局長補佐[前ヨーロッパ総局長])

※緒方貞子著『私の仕事』巻末解説より一部抜粋

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