さて、90年代になると、アイドルシーンではソロからグループへという流れが加速していく。個人の歌唱力についてはわかりにくくなったが、そのなかでも強烈な「歌ウマ」オーラを放ったのが、SPEEDの島袋寛子だ。12歳でデビューし、歌う天才子役の趣きで国民的グループを引っ張った姿はなかなかのものだった。
ただ、歌のうまさはときに嫌味やアクにもつながる。その点、このグループには上原多香子という、90年代有数の「歌が覚束ないアイドル」がいたことにも注目したい。これにより、絶妙のバランスが生まれていたのだ。
こうしたバランスは、そのあとに続いたモーニング娘。やAKB48などにも受け継がれている。が、よりいっそうの大所帯で激しく複雑なダンスをしながら歌うパフォーマンススタイルは、全体のバランスはともかく、個人の歌唱力をますますわかりにくくした。
それでも、歌のうまい子は必ずいるからそこがクローズアップされることもある。ただ、気になるのはその歌唱力がアイドル的なうまさとはズレがちだったりすることだ。山本彩(元NMB48)の場合、もともとバンドをやっていたというだけあって、ロック系のテイスト。生田絵梨花(乃木坂46)の場合は、ミュージカルをやるうちに歌い方もそれ仕様になっていった。
そのなかにあって、AKB48の最新シングル「サステナブル」で初のセンターを務めた矢作萌夏は世が世なら王道的な「歌ウマ」系アイドル歌手になれそうな素材だ。しかし、来年2月での卒業が決まった。ぜひ、ソロで歌手活動も行なってほしいが、はたしてどうなるだろうか。
ところで「歌ウマ」とは逆に「歌ヘタ」いや「ヘタウマ」系というべき人たちもいる。もしかしたら、そちらのほうがアイドルらしいのかもしれない。そのうち、そういうアイドルについても考えてみたいものだ。とりあげても、本人に喜ばれるとは限らないが!?
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。