それでも、彼女は歌唱力で勝負に出る。デビュー曲「殺意のバカンス」や賞レースの勝負曲「Temptation(誘惑)」は実力がないと歌えない大人っぽい歌謡ポップスだった。が、日本レコード大賞の最優秀新人賞を中山美穂にさらわれ、大荒れに荒れたという彼女は翌年以降、別の攻め方に転じる。洋楽&ロック志向だ。

 マドンナのようなへそ出しルックで「1986年のマリリン」を大ヒットさせ、ゲイリー・ムーアやブライアン・メイといった海外の一流アーティストの作品を歌った。ついには「MINAKO with WILD CATS」というバンドまで結成。ただ、それはアイドル的な可愛げから遠ざかることでもあり、エスカレートするにつれ、普通の歌謡曲ファンには馴染めないものになっていった。

 その頃について、彼女はこう振り返っている。

「きっと背伸びをしてたんだと思うんです。仕事は楽しかったし、あの頃があるからこそ今の私があるんだけど、目指しているものに私自身の中身が届いていなかったから。ただのワガママ娘でね」

 ちなみに、彼女には他にもデビュー曲候補があった。セカンドシングルとなった「好きと言いなさい」がそれだ。キュートなアイドルポップスで、こちらを好きな人も多かった。実際に会った印象でも、前者より後者が似合う感じだったし、こういう路線で押していったほうが、等身大の素の魅力を発揮できたのではないか。

 おそらく彼女の歌唱力が平凡だったら、和製マドンナやらロックバンドといった路線は選択されなかっただろう。両刃の剣たるゆえんだ。

 そういう意味で、彼女がその後、ミュージカルだったり、クラシックとのクロスオーバーだったりという展開に行けたのはよかったと思う。それらの世界では「歌がうまい」のは当たり前で、嫌味にもならないからだ。一方、容姿については美形ばかりでもないから、その分、彼女の抜群の「可愛げ」がひときわ輝くことになる。

 病気のため、38年の短い生涯に終わったが、彼女は「オーケストラの人と共演すると、鳥肌が立つんですよ」と嬉しそうに話していた。歌手として、そういう居場所にたどりつけたのは幸せなことだ。

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