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「人間は進化したら何になるの?」
「どうして、“わたし”は“わたし”なの?」
発想豊かな子どもの疑問に大学教授が本気で答える連載「子どもの素朴な疑問に学者が本気で答えます」。子どもに聞かれて答えられなかった疑問でも、幼い頃からずっと疑問に思っていることでも、何でもぜひお寄せください。明治大学教授の石川幹人さんが、答えてくれますよ。第3回の質問は「クラスメートをねたむ気持ちはなぜ起きる?」です。
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【Q】クラスメートが賞をもらいました。ねたましい気持ちになるのはなぜですか?
【A】あなたが、そのクラスメートのことを「利益を分け合う仲間」とみなしているから
どんなときにねたましい気持ちになるか、どんなときはならないか、少し考えてみましょう。私は小学生のころ、音楽が不得意で理科が得意でした。クラスメートがピアノのコンクールで入賞したと聞いても、まったく気にならなかったのですが、夏休みの理科の自由研究で優秀作品に選ばれたクラスメートに対しては、ねたましい気持ちをいだいたことを覚えています。一方で、見知らぬ人がたとえどんな賞をとったとしても、たいして気にならなかったとも記憶しています。
皆さんはいかがでしょうか。こうした事例を考えると、どうもねたましい気持ちは、自分が獲得できそうな利益が、仲間に行ってしまったときに感じるようです。一方で、その利益が見知らぬ他人に行ってしまったときには、くやしいとは感じますが、ねたましくはないようです。「くやしい」が自分の内側に向けられた反省の感情であるのに対して、「ねたましい」は知っている誰かに向けられた否定的感情と言えます。
では、そのねたましい気持ちがなぜ存在しているのでしょうか。喜怒哀楽が他の動物にもありそうな感情であるのに対して、ねたましさは人間特有だと考えられています。そして、恋愛の三角関係で生じる嫉妬が世界中の文学に広くみられることから、ねたましさは特定の文化で生じたものではなく、人間の本性に根差す感情でもあるようです。進化生物学では、そうした感情の起源は、人間特有の生活様式が長く続いた狩猟採集時代にあると考えます。
人類の祖先は、2、3百万年前から数万年前まで、アフリカの草原で狩猟採集をして暮らしていました。100人くらいの集団で協力して自給自足の生活をしていたのです。食べ物が少ない過酷な環境であったのですが、大型動物の狩りを協力してなしとげていたと考えられています。その狩りはなかなか成功しないものの、成功したときは集団の皆で肉を分け合って食べていたに違いありません。