北川悦吏子さん(撮影/干川修)
北川悦吏子さん(撮影/干川修)
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 たびたびネットで話題となっている、鴻上尚史さんの人生相談書籍化された。実は鴻上さんと同じ大学出身だという脚本家の北川悦吏子さんが、『鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』を読んで感じたこととは? 「一冊の本」に掲載された北川さんの寄稿文を特別に公開する。

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 とても、「ほがらか」なんていうものではないのである。どんな相談にもこれでもか、というくらい研ぎ澄ましたナイフでスパスパと切り返す。博識であり、その知識は深くそして生きている人間の智恵。鴻上尚史という人間の全能力を使って、全身全霊で答えている気がする。

 私が初めて鴻上さんに出逢ったのは、大学1年の夏だった。次の授業に行くために、早稲田の一文の階段を駆け下りた踊り場で私はそのフレーズを目にした。「朝日のような夕日をつれて」。第三舞台のポスターだった。

 私は、早稲田の文学部にもかかわらず、演劇には興味がなく、第三舞台も、鴻上尚史も知ってたかどうか怪しい(この時点で、多分、鴻上さんは、大学3年)。しかし、あまりに美しいタイトルに、私は足を止めた。

「朝日のような夕日をつれて」

 足を止めたわりには、芝居を見に行く気はまったくなかった。鴻上さんの第三舞台がある早稲田の劇研というところは、稽古のため午後の授業には出させてもらえず、なんだか記念会堂の前で朝から晩まで謎の発声練習をやってて、気持ち悪い、くらいに思っていた。一度だけ友人に誘われて見に行った舞台が、意味不明の地獄だった、というトラウマもあったかもしれないが。そこに一歩足を踏み入れれば、「あすなろ白書」のような「オレンジデイズ」のような青春はない、と私は直感していたのだと思う。

 余談だけれど「オレンジデイズ」を撮ってくれたTBSの土井裕泰さんも早稲田劇研出身で、「ああ、北川さんは僕らが大隈講堂の前で発声練習している前を、テニスラケット持ってヒラヒラと通りすぎて行ったあの女子たちなんだね」と言った。ま、テニスはやってなかったけれど、意味としてはそうかもしれない。

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そして時は過ぎ、脚本家になった北川さんが…