「インスタ映え」写真、見飽きました。この言葉が2017年の流行語大賞に選ばれてから2年。どこかで見たことがあるような写真ばかりが並び、写真家の方々からも、必ずと言っていいほど「レタッチしすぎ」という声があがります。「自然」を撮っているのに「不自然」に見える。
そこで『アサヒカメラ2019年9月号』では「風景写真があぶない!『レタッチしすぎ」の罠』と題し、氾濫するレタッチしすぎの劇的写真に警鐘を鳴らす特集を組みました。人気の風景写真家、米美知子さんは、過度なレタッチを施した写真がSNSや雑誌に跋扈する現状を、こう語ります。
* * *
いま、劇的な風景写真が多すぎなんですよ。コンテストの審査をしていると、もう、しょっちゅう「ありえないでしょう、こんな風景写真は」。
現場主義ではなくて、レタッチに頼った作品。
それがおかしいことだと気づいてくれればいいんですけれど、みんな、「いかにレタッチするか」に気持ちがいっちゃっている。
誤解してほしくないんですが、「レタッチをするな」、ではないんです。出来上がった写真が不自然でなければ、レタッチしてもいいんです。でも、出来上がった写真が不自然に見えるから、「レタッチしすぎ」なんです。
もっと言うと、不自然な写真になっていることに、実際の風景を目にした撮影者自身が気づいていない。
イメージ写真であればアリ、ですよ。例えば、コマーシャルフォトであれば、何をやってもいいと思います。クライアントがいて、その注文に合わせて写真をつくっているわけですから。
でも、自然風景を撮るのであれば、自然を自然に表現してほしい。それをレタッチで見たことのないような風景にしてしまうから違和感を覚えるんです。「これはイメージです」って、注釈を入れたほうがいいんじゃないかと思うような風景写真をみんなが目指しちゃっている。それがふつうになってしまった風景写真の現状がこわいんです。
■こんなに夕日が赤かったらいいなぁ
だから、みんなやたらと時間をかけて写真を仕上げる。私のレタッチなんか、露出とコントラスト、色かぶりの補正と、3クリックくらいしかしないから、あっという間。
撮影現場で光を読んで露出を決めて、きちんと必要なフィルターを使ってやれば、いまのカメラの性能であれば、家に帰ってやることはほとんどないんです。
それをきちんと伝えるために、私はまったくいじらない、いわゆる「撮って出しのJPEGの写真」を教室で見せるんです。現場できちんと撮れば十分にきれいでしょ、と。
レタッチが必要な場合、例えば、うっそうとした森の中で撮ると、フィルムでもそうですけれど、緑かぶりしてしまう。「色かぶりしているから、ちょっと修整するね」と言うんですけれど、微調整ですむからそんなに時間はかからない。