館山昌平(38歳)と畠山和洋(37歳)。長年にわたって投打でヤクルトを支えてきた2人が、今シーズン限りで現役生活に別れを告げる。「悔いはない」、「幸せな野球人生」。9月13日に行われた引退会見でそう語る2人の表情は、実に晴れやかだった。
日大から2003年にヤクルトに入団(ドラフト3巡目)した館山は、全盛期は“負けない男"と呼ばれた。08年は12勝3敗、勝率.800でセ・リーグ最高勝率(当時は表彰外)。このシーズン途中から翌年にかけて球団新記録の14連勝をマークし、09年は自己最多の16勝(6敗)で最多勝のタイトルを獲得した。その後も2012年まで5年連続で2ケタ勝利を挙げた右腕がこだわったのが、“負けないこと"だった。
「投げる試合は負けたくないっていうのはあります。それで自分に勝ちがつけばチームにも勝ちがつくわけで、そういった意味では勝ちは欲しいですけど、それよりもまずは負けないことですね」
そう話していたのは、2011年シーズンのこと。当時は150キロ近いストレートと、正捕手の相川亮二(現・巨人バッテリーコーチ)に「変化球1つ取っても、その中で緩急をつけて速くしたり遅くしたり、あるいは曲がりを大きくしたり小さくしたりできるから、何十種類という球種になる」と言わしめた多彩な変化球を武器に、抜群の安定感を誇っていた。この年は終盤まで防御率1点台をキープしてタイトルも狙えそうな位置にいたが、それよりも“負けないこと”にこだわった。
「防御率のために野球をやってるわけじゃないですから。それこそ展開によっては、ソロホームランならOKみたいな時もあるわけじゃないですか。そこをホームランを怖がって、ランナーためてドンって行かれるくらいだったらっていう時もあるので……。とにかくチームの勝ちっていうことですね」
この2011年は前年(4完封)に続いてリーグ最多となる3完封(中日の吉見一起とタイ)を記録し、防御率は自己ベストの2.04。館山が投げれば勝てる──。神宮に集う燕党は、常にそんな思いを抱いていた。実際、08年から12年の5年間は通算63勝29敗で.685という高い勝率を誇った。