こうした状況を整理してみると――。彼女はテレビのバラエティに出ずっぱりのような日々に疲れやわずらわしさを覚え、環境を変えてみたのだと考えられる。そして、米国の映画に出たり、ファンクラブの会員限定に雑誌を作ってみたり、「好きなこと」をやっているわけだが、そのためには日本での人気や収入を維持しておく必要がある。それには最も効率的なのがCMなのだ。
ちなみに、有吉は前出の番組で「CMでしか見ないタレント」について、それゆえ「好感度も良い」と分析している。これは、ローラにも当てはまるだろう。彼女の場合はそれ以前のバラエティ出ずっぱり時代に積み上げた好感度をうまく温存できている感じだ。
そのため、新たなファンも獲得しており、今年のミス・ワールド日本代表に選ばれた女子高生モデルはこんな抱負を語った。
「ローラさんのような発信力のあるモデルになりたい」
とはいえ、CMでしか見かけない現状は有吉のいう「ヤバい」とはまた違う「ヤバい」をもたらしかねないのではないか。たとえば、その「発信力」についても両刃の剣だったりする。昨年12月、ローラはインスタグラムでこんな呼びかけをした。
「We the people Okinawaで検索してみて。美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの。名前とアドレスを登録するだけでできちゃうから、ホワイトハウスにこの声を届けよう」
辺野古問題についての意見表明だ。もちろん、芸能人がこうしたことに発言してもかまわないと思うが、賛否両論は免れない。まして、CMにしか出ないようなスタンスでそれをやると、反発を招きやすかったりする。たとえばストイックな節制による体型維持など、モデルとして評価はできるがそれだけでは不足だろう。ビートたけしや松本人志、あるいはかつての飯島愛らのように、説得力につながる作品や生き方を示したうえでないと、何様扱いされがちなのだ。
そういう意味で、今の彼女はなかなか難しい自己実現のさなかにいるといえる。このままふわっとした人気者として生きていくのか、本業でバラドル的ではない何かをなしとげ、本当の意味での発信力を身につけるのか。ま、本人にとっては案外、どちらでも「オッケー」ということなのかもしれないが!?
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。