進行したがんの患者に対して、医師がよかれと思ってしたことが、患者にとって本当によいことかどうかはわかりません。『心にしみる皮膚の話』著者で、皮膚がん・メラノーマが専門の京都大学医学部特定准教授の大塚篤司医師が、自身の経験をもとに語ります。
* * *
医療の現場では、医者と患者さんの見えている世界は異なります。患者さんにとってはじめての病気が、専門医にとっては何十回、何百回目の病気という場合がほとんどです。
がん治療に携わる医者として「患者さんにとって一番よい選択はなんだろう」と絶えず考え、悩みます。
何十回もがん治療を行うと「これを選べば先が苦しい」とわかることもあり、専門家の意見として「選んだほうがよい選択」を患者さんに提示します。
それでも、医者としてよかれと思ったことが、患者さんにとって本当によいことかどうかはわかりません。
今回は、私がまだ医者になりたての頃、先輩医師と経験した症例を紹介したいと思います。なお、内容は守秘義務に反しないよう、事実と異なる部分が多々ありますが、私が感じた気持ちはそのままに表現しています。
菊池優子(きくちゆうこ)さん(仮名)は40代の女性。ほくろのがんと呼ばれる悪性黒色腫(メラノーマ)が口の中にできた患者さんでした。
日本人では足の裏にできるメラノーマが有名で、しばしばマスコミにとりあげられます。しかし、ほくろが全身にできるように、メラノーマも足の裏だけにできるわけではありません。体じゅうの皮膚であればどこにでもできますし、口の中にもできます。
粘膜型(ねんまくがた)とよばれるメラノーマは、口の中をはじめ、眼、膣、食道などの粘膜に存在する「色素を作る細胞」ががん化したもので、日本人に多いのが特徴です。
菊池さんのメラノーマは口の中の見えづらいところにできたがんでした。できものに気がついてメラノーマと診断され、検査をすすめた段階ですでに内臓に転移していることがわかりました。