実際、いろいろな目玉企画が発表されたが、驚いたのは会見終盤。マイクを持った大崎社長(当時)が「できれば、島田紳助さんに戻ってきてもらいたい」と前年に引退した紳助さんにラブコールを贈ったのだ。
会見場は騒然となり、正直、吉本の社員の顔にも「社長、なんてことを…」という驚きの色がハッキリと見て取れた。結果、100周年企画が翌日の紙面ではかすんでしまい、紳助さんへのラブコールが原稿の中心になった。
そんな展開になることくらい、大崎会長は百も承知だっただろうが、それでもこの大きな場を使って紳助さんに思いを伝えにかかる。それをするくらい、両者の思いには歴史があり、重みもある。
ただ、大崎会長や岡本社長とほとんど話したこともない若手芸人からすると、また捉え方が全然違ってくる。お笑い論やネタの良し悪しといった領域ならば、いわば、名球会入りし、数々の大記録を打ち立てたような先輩の声に耳を傾ける部分もあるが、芸人はそれぞれが個人事業主。それぞれに吉本興業との商売の仕方があり、そこに感じている不満の質や量は全く違う。
だからこそ、紳助さんが語ろうが、松本人志が語ろうが「紳助さんはそう思われるだろうし、松本さんはそうお考えかもしれないが、自分は絶対にこう思う」という部分が多くの場合存在する。
だからこそ難しいし、楽屋での賑やかなトークとしては不向きというか、それぞれの深いところにつながっている話だけに軽くはできないし、楽しい話にもなりにくい。
ただ、こちらが取材する限り、会社側、芸人側で共通していることが明確に一つある。それが「身内同士でつぶしあいをしていても得はない。変えるべきは変えて、今回のことをよいきっかけにするしかない」ということ。
そして、1999年にデイリースポーツに入社以来、20年以上、吉本興業を取材してきたものとして、ここ数年、強く感じた変化がある。
無論、筆者は吉本の社員でもなければ芸人でもない。至近距離で吉本を見てはきたが、あくまでも立ち位置は外の人間。だからこそ、客観的に見えた変化が実は気にはなっていた。