いわば、『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』は、芸人が大空へ飛び立つ前の滑走路のような役割を果たしていた。滑走路に十分な長さがあったからこそ、彼らはその後で高く飛ぶことができたのである。現在は滑走路が存在しないか、あってもごく短いものしかないため、「一発屋芸人」とのちに呼ばれるほどの大きい「一発」を放つこと自体が難しくなっているのだ。

 2つ目の理由は、芸人がすぐにキャラをはぎ取られてしまう風潮があるということだ。『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』はネタ番組なので、そこに出る芸人はネタを演じるだけであり、トークをすることはない。そのため、どんな性格か、どんなことを考えている人なのか、といった素顔の部分を見せる必要がなかった。そのため、彼らは一種のキャラクターとして内面を見られない状態で世に出ることができた。

 しかし、最近のバラエティ番組はトークが主体であるため、駆け出しの芸人がすぐにその素顔を暴かれてしまう。『ゴッドタン』(テレビ東京系)に出たときのEXITがその典型だ。チャラさを売りにしていた彼らは初めて出たバラエティ番組でいきなり「実は真面目」という素顔を暴かれてしまった。それは、番組の性質上、避けられないことではあるのだが、そういう扱いをされると芸人が1つの分かりやすいキャラクターを用意して、それを広めることができなくなってしまう。つまり、「一発」が大きく打ち上がる前に、別の角度ですぐに分析・解体されてしまうため、一発屋芸人が育ちにくくなっているのだ。

 3つ目の理由として、子供や若者のテレビ離れというのも考えられる。娯楽が少なかった時代には、多くの子供や若者が流行の発信源であるバラエティ番組をチェックしていた。だが、今はそのような風潮がなくなりつつある。テレビを見ないでYouTubeばかり見ている若い世代は珍しくない。

 一発屋芸人が世の中に広がるためには、子供や女子高生が真似したりするというのが不可欠だ。今でもそういうことがないわけではないのだが、子供が見られる時間帯に放送されるネタ番組がほとんどないため、そこから芸人が出てくることがない。ある程度まで売れる芸人はいても、それが大ブレークにまでつながらないのは、広げるための媒介となる子供や若者がテレビを見なくなっている、というのが大きいのではないだろうか。

 ただ、一発屋芸人が出てこないことは、必ずしもお笑い界にとって悪いことではない。そもそも「一発屋芸人」とは一種の蔑称であり、言われていい気分がする人はいないだろう。芸人が内面を掘り下げられる前に、飽きられてテレビから消えてしまうというのは、本人にとっては不本意なことだ。

 それよりも、霜降り明星、EXIT、チョコレートプラネットなど、確かな実力がある上に、キャラクターとしても認められている芸人が、多くの活躍の機会を与えられているというのは、ある意味では健全なことだ。大きい「一発」を当てることが難しくなり、お笑い界は実力本位のサバイバル時代に突入しつつあるのかもしれない。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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