土さんが20歳になったとき、沈没家族の仲間が集まって祝ってくれた。
「土はカボチャが嫌いで困った」「パンツをはくのが嫌いだった」など、大人の口から語られる自分に戸惑いながらも、大学の卒業制作に、ドキュメンタリー映画『沈没家族』を撮ることを決めた。
映画を撮って感じたことは、「母はやっぱりすごい」だった。そして、「沈没家族で僕を育ててくれてありがとうという、感謝の気持ち」だ。映画も好評で、沈没家族があった中野区の映画館「ポレポレ東中野」を皮切りに、現在は全国を上映行脚している。
「僕を産んだ当時は、子どもを抱えた母親が『自分の時間もほしい』なんて、大きな声で言えなかったと思います。母自身もそういう価値観で親に育てられてきたはず。だから親を頼らず、一緒に子育てをしてくれる人を探したんだと思います」(同)
穂子さんは、どう考えているのか。シングルマザーで経済的に余裕がなかったのも事実。そのことについて、穂子さんは「沈没家族」の上映イベントでこう言った。
「そのときは楽しかったからやっていた。でも今から思うと沈没家族がなかったら、わたしたちはヤバかった」
土さんは、母のことをこう笑う。
「母にとって、生きる=楽しいこと。人生を、そして育児を楽しむには、誰かと一緒にやりたい、そしてそれは血のつながった家族でなくてもできると、本能的に察知していたんでしょうね」
共同保育で育てられた土さんにとって、「家族とは何か」とたずねると、「わからない」という答えが返ってきた。
「家族だから助け合わないといけないとか、名字が一緒でなくては一体感がないとか、そういう考えがあるとしたら、家族は息苦しいと思ってしまう。沈没家族も大切な人たちですが、あえて『家族』とくくらなくてもいい。それぞれと一対一の関係があったらいいんじゃないかなって思います」
「拡張家族」で繰り広げられている自由で楽しげな生活や、何より「沈没家族」を肯定的に語る土さんの存在は、両親が責任を持って子育てするものだという自己責任論的価値観にがんじがらめになっている現代の親たちに、「周囲を頼ってもいいよ」と温かいエールを送っている。(平井明日菜)