中日監督時代の高木守道氏 (c)朝日新聞社
中日監督時代の高木守道氏 (c)朝日新聞社

 今シーズンが開幕してあっという間に時間がたち、早くも交流戦の時期が迫っているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「怒れる監督編」だ。

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 遥か昔(1949年)、巨人の三原脩監督が相手チームの選手をポカリと殴りつける“三原ポカリ事件”があったが、平成の世でも92年7月5日の巨人vsヤクルト(神宮)で、“野村ポカリ事件”が起きた。

 まさかのハプニングが起きたのは、4対4の同点で迎えた9回裏、ヤクルトの攻撃中だった。

 1死満塁のサヨナラ機に、野村克也監督は角富士夫の代打に荒井幸雄を起用した。意表をついて、スクイズを仕掛けてきても不思議のない場面である。

 ところが、荒井は自信なさそうにキョロキョロしながらベンチをのぞきこみ、サインをしっかり理解していない様子がありあり。次の瞬間、烈火の如く怒った野村監督がベンチを飛び出し、「しっかりせんか!」とばかりに左手で荒井のヘルメットをポカリ!とぶん殴ってしまった。

 このシーンは、4万8000人の観衆はもとより、テレビにもバッチリ映し出されたことから、「あの温厚な人が!」と驚きの声が続出。“野村ポカリ事件”としてセンセーショナルな話題になった。

 結局、荒井は三邪飛に倒れ、桜井伸一も三振。ヤクルトはサヨナラのチャンスを逃してしまう。そして延長11回、代打・大野雄次の決勝ソロを浴びて、4対5で敗れた。

 翌日、事件の反響の大きさに、野村監督は「つい自分を忘れてしまった。申し訳なかった」と反省しきり。荒井にサインを徹底させるつもりでタイムをかけようとしたが、平光清球審が気づかなかったため、「審判までがボーっとしている」と余計頭に血が上り、つい“ポカリ”となってしまったようだ。

 広島移動後の宿舎でナインを前に、野村監督は「申し訳ないことをした。采配ミスもあった。明日から後半戦のつもりで、オレと一緒にやり直してくれ」と詫びた。これでわだかまりも解け、チームは14年ぶりのリーグ優勝に向けて再加速することになる。

 ちなみにポカリ事件があった日は、原辰徳が9回に同点2ランを放った直後、“伝説のバット投げ”を披露しているが、翌日は、新聞休刊日だったため、残念ながら、どちらの事件も、駅売りなどの特別版を除いて、ほとんど報道されずじまいだった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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大沢監督が放棄試合も辞さない覚悟で激怒