だから子どもがほしいと思うのは、男の人も女の人も自然なこと。でも、できなかったりする人生もあるわけです。そうなったときに、それを受け入れられるか、自分の人生に覚悟を決められるかですよね。人の子どもを預かったりしたときは、楽しいな、子どもがいたらと思うことはあります。でも、それは僕の人生じゃないですから。夫婦2人で良い時間を過ごすことが僕の幸せ、という結論なんです。

 子どもがいなくて教育費にお金がかからない分だけ、贅沢はさせてもらっていますよ。スーパーでカップ焼きそば買おうと思ったときに、一番高いやつを手に取れるとか、セール品じゃなくて良いやって思うとか、そういう細かいレベルの話から、ちょっと高いものまで。例えば、30万円のマッサージチェアーに「高いなぁ」と思っても、「でも子どもがいたら学費に消えたってことで!」って言いながら買っちゃうとか。ハワイに行ったり、車を買ったりもそう。2人の幸せのためにお金を使うってことなんですよね。

 一方で、50歳を前にして、将来の不安は出てきます。最終的には親も死ぬ、身内も死ぬ、下手したら3歳上のかみさんも先に死ぬ。そうなったら俺の最期は1人なのか!?ってことは、やっぱり考えますよね。そうならないための努力をいまからしておかないといけないと思っているんですよ。

 仲間をいっぱい作っておくとか、年上だけじゃなく年下といっぱい繋がっておく、サークルやる、学校で講師をして子どもに何か教える、喫茶店でもやって近所の人が常にいっぱい来るような場所をつくっておく……。いろんな方法を考えますよね。

 かみさんにもし先立たれたら、75歳の正月って、俺はどうしてるんだろう? 正月が来るたびにそれを考えるんですよ。今はみんなでハワイ旅行に行って先輩たちとワイワイやったり、兄貴の家に行ったり、仲間が来て酒を飲んだりするけど、それがみーんな順番に死んでいくとなると……。子どもが2人か3人いれば、そのころには孫がいて「じーちゃん、じーちゃん」って言われて、自分が体験してきたような正月がおくれるはずですなんですが。若いころに自分が楽に暮らしてきた分だけ、そういう不安はありますよね。

暮らしとモノ班 for promotion
大人も夢中!2024年アニメで話題になった作品を原作マンガでチェック
次のページ
貴理子さん家のケースから一つだけできること