槙原寛己が3連続本塁打を浴びたというと、野球ファンのほとんどが85年4月17日の阪神戦(甲子園)を連想することだろう。

 ところが、槙原は伝説のバックスクリーンから11年後の96年6月19日の中日戦(ナゴヤ)でも再び同じ悪夢に襲われるのだから、まさに因果はめぐる!?

 2対2の同点で迎えた8回裏、槙原は1死二塁で音重鎮に右越え勝ち越し2ランを被弾する。そして、「音さんが打ってくれたので、気分的に楽だった」という山崎武司にも、真ん中高めストレートをバックスクリーンに運ばれる。さらに「前で2人が打つから狙っちゃった」という大豊泰昭に3者連続アーチとなる中越えソロを浴び、KOされてしまった……。

 もうひとつ付け加えれば、この日槙原は4回にも山崎に2ランを浴びており、1試合4被弾はプロ15年目で初めて味わう屈辱だった。

 6連敗で借金2となった巨人・長嶋茂雄監督は「槙原?それより今日は打線だよ」と吐き捨てた。左腕・今中慎二を意識して松井秀喜を除いて8人も右打者を並べたのに効果なしとあって、「打線、打線……」と悔やむことしきり。

 一方、中日・星野仙一監督は「いやあ、驚いたよ。(阪神が優勝したときと同じ)槙原から打ったというのは因縁めくが……」とあとの言葉を濁したものの、85年の阪神にあやかって、優勝を意識している様子がありあり。しかし、この年は巨人に5ゲーム差の2位に終わり、“槙原から3連発"の予兆も、ぬか喜びに終わった。

 隠し球アウトになった選手がリベンジのサヨナラ打を放ち、見事名誉を挽回したのが、97年6月26日の巨人vs横浜(横浜)。

 0対0の8回、横浜は先頭の鈴木尚典が二塁内野安打で出塁。次打者・ローズも右前安打で続き、無死一、二塁と先制のチャンス。

 ところが、ここで「まさか!」のどんでん返しが待っていた。ライトからの返球を受けたショート・元木大介は、一塁コーチが見ていないと知ると、そのまま何食わぬ顔で守備位置へ。そして、二塁走者・鈴木がリードを取った直後、近づいてタッチした。

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隠し球を成功させた相手からしっぺ返し