阪神を率いていたときの野村監督 (c)朝日新聞社
阪神を率いていたときの野村監督 (c)朝日新聞社

 トップが変わればチームは変わる。プロ野球の長く険しいペナントレースを戦う上で監督の存在は非常に大きい。そして栄冠に輝いた監督がいる一方、その逆に苦渋を味わった監督の方が多い。では、“平成のワースト監督”は一体、誰だったのか。今一度、12球団の「平成」(1989~2018年)を監督とともに振り返りたい。今回はセ・リーグ編。

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■広島:達川光男監督

 山本浩二政権(1989~1993年)が平成元年に誕生し、1991年にリーグ優勝を果たすも、その後の三村敏之(1994~1998年)、達川光男(1999~2000年)、山本(2001~2005年)、マーティ・ブラウン(2006~2009年)、野村謙二郎(2010~2014年)と優勝から遠ざかり、ようやく緒方孝市(2015年~)となって久々の歓喜を味わった。

 この中で最も歯がゆかったのは、達川時代だろう。春季キャンプスタートと同時に「胃に汗をかく」猛練習をスタートさせたが、オーバーワークに離脱者も次々と発生。シーズン開幕後は慢性的な戦力不足で、特に投手陣が壊滅。1年目の1999年は球団ワーストタイの13連敗を喫して5位。翌2000年も5位に終わり、4、5年の長期政権が慣例となっている広島にあって、わずか2年で辞任した。

ヤクルト:高田繁監督

 関根潤三(1987~1989年)の最終年に平成の時代を迎え、野村克也(1990~1998年)時代に4度のリーグ優勝を果たした。その後、若松勉(1999~2005年)時代にも1度リーグ優勝し、古田敦也(2006~2007年)、高田繁(2008~2010年)、小川淳司(2010~2014年)、真中満(2015~2017年)、小川(2018年~)と続いた。

 成績的には2013年、2014年と平成唯一2年連続最下位となった小川時代の苦労が目立つが、翌2015年のリーグ優勝へとつながった“育成力”に高評価。その他、優勝を経験していない監督は古田(3位、6位)と高田(5位、3位、4位)になるが、去り方として2010年、5月末に9連敗を喫して13勝32敗1分の借金19で最下位の状態で辞任した高田監督は後味が悪い。その後、DeNAのGMとして手腕を発揮するが、監督として評価を得ることはできなかった。

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