平成が終わる。新たな時代を迎える前に、今一度「平成30年」の日本プロ野球を振り返ると、そこには多くの外国人選手たちがいた。時代を彩った魅力溢れる男たち。1989年(平成元年)以降に在籍した“平成最強助っ人”を球団別に選出したい。

西武
オレステス・デストラーデ

 昭和の終わりから始まった黄金期を平成に入ってもしばらく続けた西武。その時代、森ライオンズの戦いの中でファンの記憶に強く印象に残っているのが、オレステス・デストラーデ(在籍:89~92、95年)だ。

 平成元年の89年のシーズン途中に来日したキューバ出身のスイッチヒッター。同年は6月下旬からの出場にもかかわらず32本塁打をマークすると、翌90年からは42本塁打、39本塁打、41本塁打で3年連続の本塁打王に輝き、90年、91年は打点王も獲得。秋山幸二、清原和博との「AKD砲」としてチームに多くの勝利を届け、弓を引くようなガッツポーズを見せながら日本シリーズなどの大舞台でも勝負強さを発揮。90年からの3年連続日本一に大きく貢献した。黄金期を彩った文句なしの最強助っ人だ。

 ライバルはいる。規格外のパワーで特大アーチを放ったアレックス・カブレラ(在籍:01~07年)だ。来日1年目にいきなり49本塁打を放つと、翌02年には当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打を達成。バットを握ったまま背中を反る豪快なフォームを多くの野球少年が真似をした。インパクトの大きさではデストラーデよりも上か。チーム成績と個人タイトルの数(本塁打王1回、打点王1回)で今回はデストラーデに軍配を上げたが、カブレラもまた“最強”の名にふさわしい助っ人だった。

ソフトバンク
デニス・サファテ

 平成元年の89年からダイエー、05年からはソフトバンクを親会社にし、福岡を本拠地として戦っているホークス。王貞治監督のもと、99年に球団26年ぶりの優勝を果たして以降は常に上位争いを続けている中、助っ人たちも貴重な働きをしてきた。03年の「100点カルテット」にはペドロ・バルデス(在籍:01~04年)がおり、入れ替わるように活躍したフリオ・ズレータ(在籍:03~06年)も印象的。アルフレド・デスパイネ(在籍:17年~)も候補の一人だ。

 だが、彼らよりも“最強”に推したいのが、デニス・サファテ(在籍:14年~)だ。広島、西武を経てソフトバンクに辿り着いたリリーバーは、14年に37セーブを挙げて日本一に貢献すると、翌15年からはさらに存在感を増して41セーブ、43セーブ、54セーブで3年連続のセーブ王。その間、防御率は常に1点台。特に17年は66試合に登板して日本記録となる54セーブを挙げて防御率1.09を誇示。シーズンMVPと日本シリーズMVPをダブル受賞し、外国出身の選手としては初の正力松太郎賞も受賞した。ブライアン・ファルケンボーグ(在籍:09~13年)も忘れてはいけないが、やはりサファテが最も優れている。

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