張本勲 (c)朝日新聞社
張本勲 (c)朝日新聞社
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 各チームがキャンプインし、早くも新シーズンが待ちきれないというファンも多いと思うが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「あの張本さんがKOされた!」だ。

 外野手の1試合最多失策のプロ野球記録は「3」。1939年7月30日の岡村俊昭(南海)から2007年9月17日の大廣翔治(楽天)まで計7人が名を連ねているが、実は、東映時代の張本勲もそのうちの1人である。

 1960年5月10日の西鉄戦(平和台)。レフトを守っていたプロ2年目の張本は2回、1対3と逆転された直後の2死一、三塁、花井悠の左前安打を横にはじき、2点を追加されてしまう。

 勢いづいた西鉄打線は直後、高倉照幸の中前タイムリーと田中久寿男の右越え3ランで4点を加え、打者14人の猛攻で1イニング9得点。ちょっとしたボタンのかけ違いが、大量失点のきっかけをつくってしまったのだから、これはなんともバツが悪い。

 だが、間の悪いときには、さらに間の悪いことが重なるもの。張本は5回にも花井の平凡な左飛をポロリと落球したばかりでなく、この間に三塁を狙った一塁走者・若生忠男を刺そうと送球したところ、これまたバックネットまで転がるとんでもない大暴投に。ダブルエラーが記録され、外野手の1試合3失策のタイ記録となった。

 この日は4番打者としても4打数無安打1三振といいところがなく、チームも1対11と大敗。試合後は申し訳なさそうに肩をすぼめていた。

 セーフティバントを決めたことはあっても、送りバントを一度もしたことがない張本がプロ15年目にして初の犠打を記録したのが、日拓ホーム時代の1973年8月30日の近鉄戦(神宮)。

 3対4で迎えた6回無死二塁、張本はカウント1-1から2番手・清俊彦の3球目を一塁側に転がした。これがなんと1865試合目、7669打席目で初めて記録した「まさか!」の送りバントだった。

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なぜ張本は送りバントをしたのか?