オリックス時代のパンチ佐藤 (c)朝日新聞社
オリックス時代のパンチ佐藤 (c)朝日新聞社

 来たる2019、平成元年生まれのプロ野球選手たちは30歳となる節目のシーズンを迎える。現役選手を見ても平成生まれが多数派。平成最後の年末、新元号を受け入れる前に、古き良き昭和の時代のプロ野球界を、改めて振り返っておきたい。

 昭和のプロ野球選手で思い浮かぶのが、まずはその髪型だ。ほぼ全員と言っていいほど、理髪店で整えられた威圧感抜群の「パンチパーマ」だった。さらに首元をギラつかせる「金のネックレス」、そして小脇に抱える「セカンドバック」。特に80年代、この3つがプロ野球選手の「三種の神器」だった。90年代以降もその名残を残す選手が幾人も存在したが、登録名「パンチ佐藤」が登場した頃には少数派となり、最近では茶髪、ロン毛、アシンメトリーなんて髪型の選手も登場。もちろん女子受けは良くなったかもしれないが、男と男の真剣勝負の世界に身を置くプロ野球選手は、「パンチ」がよく似合った。

 選手の体型も現在と比べると随分と違うイメージがある。特に晩年の選手はそこが顕著にでていた。近年ではイチローのように40代でもスリムな体型で現役を維持するのは珍しくなくなったが、昭和のプロ野球でキャリアの終盤に差し掛かった選手といえば、ぽっちゃりお腹でいぶし銀の活躍をする“おやじ”の印象だ。門田博光(南海など)や江夏豊(阪神など)ら、あまり鍛えられていない体の選手が躍動する姿は、昭和に育った野球少年たちの心に今も残っている。

 また、「人気のセ、実力のパ」という言葉があったように、パ・リーグの球場では常に閑古鳥が鳴く状態だった。いちゃつくカップルに試合そっちのけで流しそうめんをする観客。酷い時にはスタンドの観客の数よりもプレーしている選手の数の方が多いなんてこともあった。そんな状況のため、小学校のクラスでもほとんどが巨人ファン(大阪では阪神ファン)。西武の黄金期には水色の帽子がオシャレに映ったが、それ以外のパ・リーグ球団の帽子をかぶる小学生は、ズバリ“変わり者”扱いだった。

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昭和の選手名鑑には今では考えられない情報も