自ら打撃投手を務める楽天・平石監督=倉敷・マスカットスタジアム(撮影・喜瀬雅則)
自ら打撃投手を務める楽天・平石監督=倉敷・マスカットスタジアム(撮影・喜瀬雅則)
堺シュライクスのトライアウトの様子(撮影・喜瀬雅則)
堺シュライクスのトライアウトの様子(撮影・喜瀬雅則)
厳しい視線でトライアウト参加者をチェックする堺・大西監督=大阪・南港中央球場(撮影・喜瀬雅則)
厳しい視線でトライアウト参加者をチェックする堺・大西監督=大阪・南港中央球場(撮影・喜瀬雅則)

 「あの夏」から20年。

 93人がプロ入りした「松坂世代」の中から、2人の「新監督」が誕生した。

 38歳という年齢は、野球界においては何とも微妙な位置づけにある。現役選手ならばベテランの上に「超」がつく。なのに、監督やコーチの立場になると、指導者という肩書の上に「若き」という形容詞がつく。

 平石洋介は、来季から東北楽天ゴールデンイーグルスの第7代監督に就任する。NPB12球団の中で、30代の監督は平石ただ1人。来年3月の開幕時点での年齢を見ても、60代が3人、50代が6人、40代が2人。セ・リーグ3連覇を果たした広島監督・緒方孝市とは12歳差で、いわゆる一回り違い。3度目の監督就任となった巨人・原辰徳は60歳で、それこそ、親子ほどの差がある。

 2004年のドラフト7巡目指名。楽天にとって、球界参入が決まった直後、球団創設1年目のドラフト指名選手になる。つまり、楽天にとっては、球団生え抜き選手で初の監督となる。

「やれることはやる、やれないことはやれない。腹くくって、頑張りますよ」

 その“青年監督”は、ヘッドコーチとしてスタートした2018年、成績不振の責任を取り、シーズン途中で辞任した梨田昌孝の後を受け、今年6月16日に「監督代行」に就任していた。そのとき、平石に「大丈夫?」と激励の電話を真っ先に入れたのが、同級生の中日・松坂大輔だった。

 1998年、夏の甲子園

 準々決勝の横浜対PL学園戦は、横浜のエース・松坂が250球を投げ切り、今もなお語り継がれる「延長17回の死闘」。平石はPL学園の主将として、松坂大輔という「平成の怪物」に立ち向かい、敗れている。しかし、その濃厚な時間を共有した男たちの友情と絆は、20年という長い年月を経た今も、全く変わらない。

 正式に監督昇格となった平石は、新たなるシーズンへ向けて、コーチ陣を編成した。同じ「松坂世代」で、2018年限りで現役引退した前DeNA・後藤武敏を2軍打撃コーチに、同じくオリックスで現役引退したばかりの小谷野栄一を1軍打撃コーチに招聘した。

「2人を、よろしくね」

 平石のもとには、松坂からこんな“お願いのメール”が入ったという。後藤は、横浜高時代に松坂とともに、甲子園春夏連覇を果たした。法大から西武に入団し、プロでも松坂とチームメートとなった。小谷野も、小6で東京・江戸川南リトルで、中学時代も江戸川南シニアと、松坂とは4年間、チームメートとしてプレーしてきた。

 その縁の深い同級生たちがタッグを組んで、2018年には最下位に終わった楽天の再建に乗り出すのだ。

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最下位に終わったチームの課題は明確