本塁打の判定が二塁打→三塁打と二転三転したことから、試合が29分中断する異常事態となったのが、96年5月15日の西武vs日本ハム(東京ドーム)。

 2対0とリードした西武は4回1死、森博幸が右中間フェンス際に大飛球を放つ。これが事件の発端だった。 

 打球は何かに当たってグラウンドにはね返ってきたため、オーバーフェンスかどうか微妙だったが、新屋晃二塁塁審は右手をグルグルと回し、「ホームラン!」のジェスチャー。二塁で自重していた森はこれを見て三塁を回り、3点目のホームを踏んだ。

 だが、日本ハム・上田利治監督が抗議すると、「ラバーフェンスに当たった音がしたので、自信がなくなった」という新屋塁審は他の審判と相談し、判定をインプレー(二塁打)に訂正した。

 これに対し、西武・東尾修監督は「手すりに当たってはね返った」と本塁打を主張。審判団が1死二塁からの試合再開を促すと、激怒して放棄試合をほのめかした。

 その後、責任審判の橘修一塁塁審が「二塁打と言ったのは、あくまでも私個人の意見。審判団で総合的に判断して三塁打にした」と譲歩すると、ようやく試合再開に応じた。
 
 こうなると、今度は上田監督が収まらない。再び抗議したが、この時点ですでに25分中断しており、待たされているファンの立場を考慮して4分で矛を収めざるを得なかった。

 かくして、計29分の中断を経て、マイクを持った村越茶美雄球審が「審判の不手際により、お待たせしたことをお詫びします」と異例のアナウンスを行い、ようやく1死三塁で試合再開となった。

 ちなみに問題の打球は、スタンドのファンの証言やVTRによれば、東尾監督の主張どおり、手すりに当たっていたようで、「最初の本塁打判定で押し通せば、こんなに揉めずに済んだのに……」の声も。

 試合中、スコアボードに記されたビジターチームの選手の名前がすべて消えてしまうビックリ珍事が起きたのが、81年5月3日の大洋vs中日(ナゴヤ)。

 2回表の大洋攻撃中、この回から降りはじめた雨の影響で、スコアボード上の大洋の選手名(山下、基、長崎、ラコック、田代、高木、ピータース、福嶋、佐藤)がすべて消え、守備位置を示す「647359821」の数字だけが残った。

 この回、大洋は2点を先制したが、スタンドのファンは誰がプレーしているのかわからず、目を白黒。

 なぜこんなことが起きたのか?

 実は、同球場では、地元中日の選手名は“永久版”としてペンキで書かれていたが、ビジターチームの選手名は「他球団の全員を揃えておくのは難しい」という理由から、即席の石灰で書かれていたため、折からの雨できれいに流れてしまったという。

 試合は“名無しさん”にされた大洋が5対4で勝ち、翌日の新聞には「無名選手に敗れた中日」の見出しも。同球場の吉江支配人は「大洋さんには大変申し訳ないことをしました。これから梅雨も近いし、対策を考えます」と平身低頭だった。

 前年、左中間外野席上段に日本で初めてのスピード表示電光掲示板が設置された同球場だったが、スコアボードが全面電光式に改装されたのは、10年以上も後の92年3月だった。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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