●世界初の松陰伝は英国で誕生

 驚くことに松陰について、『宝島』の著者であるR・L・スティーヴンソンが著書『人物と書物に親しむ』の中で書き記していることが、よしだみどり著の「知られざる『吉田松陰伝』」で紹介されている。

「今では12年ほど前のことになるが、決定的な変革の際には、その指導者たちの多くが彼の同志や門下生であった。また、彼らの多くは日本の為政者たちの中でも、高い地位にあり、あるいはこの間まであった人々である」

 これは世界で初めて吉田松陰が登場する書物で、多くの維新の志士たちを育てた人物で類い稀なる志と行動力、カリスマ性を備えた人物として紹介されている。

●今もリードする長州藩の政治力

 明治維新以降、長州藩出身の人物が活躍したことは、吉田松陰の生きざまと無関係ではないと指摘する声は大きい。幕末の混乱の中、落命した塾生も多かったが、伊藤博文・山縣有朋に代表される高名な政治家たちを輩出した。歴代総理大臣を一番輩出しているのは、今でも長州藩(山口県)で安倍晋三内閣総理大臣までで8人に及ぶ。

 ちなみに、スティーヴンソンに松陰を紹介したのも、塾生だった正木退蔵だ。英国留学中にスティーヴンソンに出会い、彼もまた、東京工業大学(当時は東京職工学校)の初代校長、ハワイ総領事などを歴任している。

 松陰の人生はわずか29年で閉じてしまったが、彼が駆け足で植えた種は、日本を動かす推進力となったといってもよい。

●松下村塾は世界遺産に

 結局松陰は、伝馬町の牢屋で斬首され、遺体は小塚原の回向院へ運ばれた。これをひそかに改葬したのが、のちの内閣総理大臣となる伊藤博文ほか門下生たちだ。現在、世田谷にある松陰神社がその改葬地で、今も境内には松陰のお墓が大事にされている。「志」を成し遂げるご利益がある神社として、今や学問からビジネス、人生まで幅広い祈願者が集っている。

 東京の松陰神社は元は毛利家別邸にあり、萩の松陰神社は松陰の実家だった場所に建立されている。萩の松陰神社に立つ松下村塾の建物は、「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして2015年に世界遺産に登録された。

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処刑地がたどった歴史