樹木希林さん(不登校新聞提供)
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樹木希林さん(不登校新聞提供)
樹木希林さん(不登校新聞提供)

 30日に告別式が行われる女優・樹木希林さん。その生き様や口にしてきた言葉がこれほど胸に響くのはなぜなのだろう。10代、20代の不登校・ひきこもり当事者とともに、樹木さんに3時間のインタビューをした『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんが追悼の思いを込めてつづる。

*  *  *

「人生でずっと励ましになるだろう言葉の数々でした」

 女優・樹木希林さんのインタビュー記事を『不登校新聞』に掲載した直後、読者の方からそんな感想をいただきました。

 私たちが樹木希林さんに取材をしたのは2014年7月24日。がんを克服するのではなく「引き受けていく」という樹木さんの死生観は、きっと不登校やひきこもりなど、生きづらい私たちに響くものがあるのではないか、と思い取材をお願いしました。

 取材までのやり取りも、樹木さんは噂どおりの人でした。ご自身で私の携帯に電話をかけてきて「いつ死ぬかわからないから明後日でもいい?」とすぐに日程を決め、ギャラは求めず、取材中での食事代まで払っていかれました。

 インタビュー中は、私といっしょに取材した10代~20代の不登校経験者には終始、気を遣いながら、約3時間のインタビューでした。その間、樹木さんが文句を言われたのは一点だけ。私が送付したFAXの枚数が多かったので「インクリボンがなくなっちゃった」ということ。似たようなエピソードは他でも聞いたことがありますが、物をムダにされるのが本当に嫌だったようでした。取材当日に来ていた服も「これ、もらいものを自分で縫ったのよ」と話していました。

 同行した不登校経験者はいま、当時をふり返って「なんておもしろい大人がいるんだと思った」「軽やかなのに言葉に凄味があった」と話しています。なかでも高校1年生から不登校になり、定時制高校などに通ったものの5年ほどひきこもり経験していた当時20代の女性は、樹木さんのこんな言葉が今も忘れられないと言います。

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「御しがたい存在は自分を映す鏡になる」