「自分をよく見せようとか、世間様におもねらなければ楽になるんじゃないでしょうか。だいたい他人様からよく思われても、他人様はなんにもしてくれないし」
そう樹木さんから言われたとき、女性は自分自身の生きづらさは、他人からの評価に依存しているからだと気付かされたそうです。
樹木さんの言葉が、こうも胸に響くのは、樹木希林の生き様と言葉にウソがなく、誇張や説得を試みるような言葉ではないからかもしれません。そして言葉遣い、樹木さん流に言えば「言葉の置き所」が粋なのも魅力的でした。
何度読み返しても私自身、いつも発見があるインタビューです。9月30日は樹木希林さんの告別式。もう一度、このインタビューをたくさんの方に読んでもらえたらと願っています。
「あのね、話したことはあなたの好きに使って、いちいち断んなくていいから」
取材の最後の樹木さんの言葉の通り、ここに再録します。
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石井志昂(以下・石井):今日はありがとうございます。まずは一番気になっていることからお聞きします。なぜ『不登校新聞』に出ていただけるんですか?
樹木希林(以下・樹木):いやあ~、こんな新聞があるんだな、と。私も年を取りましたけど、まったく知りませんでしたから。最近はほとんど取材を受けてないんですが、ぜひ新聞をつくっている人に会えたらと思ったんです。ただ、読んでみたらなんてことはない、私もその傾向があったなと思います。小さいころからほとんどしゃべらず、じーっと人影から他人を見ている、自閉傾向の強い子でした。当時は発達障害なんて言葉はなかったけど、近かったと思います。
石井:私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。これは不登校にも通じる話だな、と。
樹木:あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、「ダイバダッタは自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。