そしたら、そこから落っこちてしまったんです。打ち所が悪かったんでしょうね、それからというもの毎晩おねしょをするようになりました。たしか10歳ごろぐらいまでは続きました。だから、私の家では毎朝、布団を干していたし、友だちの家に泊まりに行くときはビニール持参(笑)。



 それ以外で記憶にあるのは、いつも友だちがいなかったこと、一人で遊んでいたこと、幼稚園に通うのがイヤだったこと、スポーツが苦手だったこと、人とはほとんどしゃべらなかったこと。しゃべらないのは近所でも評判でね。私がテレビに出始めたとき、まわりはだいぶ騒いだそうです。ほとんど声を聴いたことがないのにって(笑)。

 今ふり返ってみるとポイントだったと思うのが、小学6年生の水泳大会のとき。小学校6年生となれば、背泳ぎだ、クロールだ、とみんなすごいでしょ。私はからっきしダメ。なので水泳大会の「歩き競争」に出されたんです。プールのなかを歩いて向こう岸まで競争するレース。つまり、泳げない子たちの特別な競走で、私以外は小学校1年生~2年生ぐらいのレースでした。

 歩き競争が「よーい、ドン」で始まると、小っちゃい子たちがワチャワチャやってるなか、私だけすぐゴール。断トツの一等賞よ、なんせ身体が天と地ほどもちがうんだから(笑)。でもね、表彰式で私ニンマリ笑ったらしいの。私も誇らしかったのを覚えています。これが私の財産なんです。まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。おねしょだって恥ずかしいとは思ってなかった。こういう価値観を持てたのはありがたかった。勝因とさえ言ってもいい。これはもう親の教育に尽きますね。親がえらかった。

 思い返せば、うちの両親はとにかく叱らない親でした。「それはちがうでしょ」と言われた記憶がない。記憶にあるのは「あんたはたいしたもんだよ」と言われたこと。子どもってヘンなことを言うでしょ、ヘンなこともやるでしょ、それをいつも「たいしたもんだよ」と両親は笑ってる(笑)。子どもを見ているヒマのない時代でしたが、ふり返ってみれば、それでもえらかったなと思うんです。

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