優雅な阪急三宮ターミナルビルを背景に布引線を走る3系統須磨駅行き市電。国鉄(現JR)三ノ宮駅頭には80系湘南型電車の姿も見える。三宮阪神前~三宮阪急前(撮影/諸河久:1968年4月2日)
優雅な阪急三宮ターミナルビルを背景に布引線を走る3系統須磨駅行き市電。国鉄(現JR)三ノ宮駅頭には80系湘南型電車の姿も見える。三宮阪神前~三宮阪急前(撮影/諸河久:1968年4月2日)

 鉄道写真家の諸河久さんが路面電車を撮影するようになったのは56年前の高校生の頃。この時代にカメラなどの大きな機材を背負って全国をめぐるようになった。およそ半世紀前の観光地や地方都市を走った路面電車と街並みは、東京とは異なる文化と土地柄が写し出されていて味わい深い。前回に引き続き夏休み特別編として、諸河さんが高校や大学の学生時代に撮影した約50年前の観光地や都市部の貴重な写真をお届けする。今回は、戦前にロマンスカーやトラムガール(女性車掌)を導入して「東洋一の路面電車」と謳われた神戸市交通局(以下、神戸市電、市電)の路面電車だ。

【路面電車が走った神戸は情緒にあふれ、あまりに美しかった! 貴重な別カットはこちら(全6枚)】

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 北は六甲山系、南は瀬戸内海に挟まれた神戸。

 東西に長い市街地を、1971年までは路面電車がつないでいた。洋風の建築物が林立する街並みを、大きな音を立てて走る緑色の車両が彩りを加える。学生時代に見た神戸の景色は、そんな美しい記憶となって脳裏に焼き付いている。

 写真は、神戸の中心地、三宮で撮影した51年前の神戸市電だ。国鉄(現JR)三ノ宮駅と阪急三宮駅を背景に構図をととのえ、布引線を走る市電200型を狙った。フィルムは35mm判(ISO64)コダック・エクタクロームX を使用している。若干の退色が認められるが、1935年から続く神戸市電のシックな色彩を現代に伝える一コマだ。

 市電の背景となった京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)/神戸線三宮駅(現・神戸三宮駅)のターミナルビルは、1936年4月の神戸線全通時に竣工した優雅な外観の建物だ。神戸線と直結するこのビルには「阪急百貨店神戸支店」を始めとして、映画館、旅行代理店なども盛業していた。

シックな建物が林立する栄町通にはモダントラム700型がよく似合う。神戸で最初に市電が走った栄町通は、開業当初からのセンターポール方式を保持した路線だった。栄町四丁目~栄町五丁目(撮影/諸河久:1964年2月10日)
シックな建物が林立する栄町通にはモダントラム700型がよく似合う。神戸で最初に市電が走った栄町通は、開業当初からのセンターポール方式を保持した路線だった。栄町四丁目~栄町五丁目(撮影/諸河久:1964年2月10日)

■開業は遅いが、延伸に積極的

 この地に初めて路面電車が走ったのは1910年4月。6大都市(東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)の中では一番遅い開業となった。最初に開業したのは神戸電気鉄道が敷設した栄町(さかえまち)線で、春日野道(後年春日野に改称)~兵庫駅前(後年兵庫駅に改称)5808mだった。全線複線で軌間は1435mm、電車線電圧は600Vだった。

 神戸電気鉄道は栄町線に続いて市内に路線を延伸したが、1917年に神戸市に買収されて、神戸市電気局の経営となった。市営になってからは積極的に路線が延伸され、神戸市民の足として市電のネットワークが形成されていった。

 1942年に電力部門が関西電力に移管され、市電部門は神戸市交通局に改組された。戦後の混乱から脱却した1953年には、戦時中からの懸案だった石屋川線(将軍通~石屋川)を全通させている。また、1955年に神戸版PCC車1150型を試作するなど、この時期が神戸市電の最盛期だったといえよう。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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車両の近代化にトラムガール