「プリンセス・ダイアナ」photo Alamy Stock Photo、Kent Gavin、Parkerphotography
「プリンセス・ダイアナ」photo Alamy Stock Photo、Kent Gavin、Parkerphotography

「当時の記憶は鮮烈です。まだ王室のことをよく知らず、ダイアナについては有名な人だというくらいしか知りませんでした。それでも通りに大勢の人が出て嘆き悲しんだり、花を捧げたりしている様子を目にして『なぜ、こんなにみんなが悲しんでいるのか?』という混乱を感じていたのです」

 人々のあまりに過剰なリアクションへの疑問が、本作を作る「核」になったと監督は話す。そして1千時間以上に及ぶ膨大なアーカイブ映像を見ながら「これだけの映像があること自体が大きな問題なのだ」と気づいたという。

「ダイアナの悲劇の物語を、マスコミやパパラッチのせいにするのは簡単なことです。しかしそれだけではない。私たち自身が雑誌を買い、写真をみて、彼女のすべてを『自分たちが消費するためのエンタメ』にしてしまった。その悲劇の一部に間違いなく我々も加担してしまったのです」

ヘンリー王子に重なる

 王子さまに見初められたプリンセス──おとぎ話が現実になったことへの過剰な思い入れから、我々はプリンセスの行く末に熱狂し、彼女の人生を昼メロドラマのように扱ってしまった、と監督。

「もちろん私もその一人だと思います。その代償がどれほどのものだったのかを考えなければいけない。この映画はダイアナではなく、観客にカメラを向けているといえます。観ることで観客自身がダイアナに対して、あるいは王室や君主制、はたまたセレブリティカルチャーに対してどういう立ち位置を持っているのか。それを考えるきっかけにしてほしいのです」

 ダイアナの物語は「公人(有名人)と私たちの関係」についての問題提起でもある。SNS時代のいま、その境界はより曖昧に過激になっている。監督は続ける。

「特にヘンリー王子とメーガン妃の問題とのリンクを感じます。本作に着手したときは2人がアメリカに移住したタイミングで、誰もがそのことを話題にしていました。賛否が分かれ、国を挙げてのディベート合戦のような状況になっていたんです。私はそれを見ながらまさにダイアナの物語を思い出していました。彼女もまた人生のさまざまな側面を分析され、コメントをされていましたから」

次のページ