開催の見通しが不透明な東京五輪・パラリンピック。それでも、選手たちは開催を信じて努力を続けている。AERA 2021年2月1日号で、パラアスリートと家族が、これまでの奮闘を振り返る。
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堀雄太は、パートナーでパラアーチェリー日本代表の岡崎愛子にアスリートの片鱗を感じた瞬間を、はっきりと覚えている。
「付き合い始めて少し経った頃、彼女に『肩が凝ったから揉んでほしい』と言われたとき、肩の関節や筋肉の柔らかさにびっくりしました。身体能力が高い人とは、こういう人のことを言うのだと実感しました」
小学4年生の時、骨腫瘍のため右足を切断し、義足で生活している堀も、かつてシッティングバレーをプレーしていた時期があった。アーチェリーを始めた頃から「東京パラリンピックに出る」と話す岡崎に「こんな人がアーチェリーをやりたいというのなら、結構おもしろいことになるのでは」と憧れていた東京への夢を、今度は彼女と一緒に見ることができるのでは……と感じた。
岡崎は05年、JR福知山線脱線事故に遭い、頸髄を損傷。首から下にまひが残る。13年にアーチェリーを始めたが、練習に介助が必要なため関西に住む両親が上京した時にしか練習できなかった。堀が練習パートナーを務めることで、16年ごろから定期的に練習ができるようになった。堀はこう振り返る。
「最初は、12メートル先の的に何とか届くくらいだったのがどんどん距離が伸びて、気付けばちゃんと真ん中の方にパーンと当たるように。目に見えて上達しているのは感じましたね」
元々の運動神経の良さに加え、岡崎の強みは気持ちの切り替えが早く、さらに自己分析ができることだと堀は言う。
「練習がうまくいかなかった日、僕は『今日、当たんなかったな』って普通に言っちゃうんですよ。でも彼女はそれを引きずったり落ち込んだりするのではなく、何が悪かったのかを分析し、次に生かしていました」