19年6月、オランダで開催された世界選手権で、岡崎はW1クラスミックス種目で3位に入り、東京への切符を手にした。初めての国際大会、本格的に競技を始めてわずか3年。だが岡崎の上達を間近で見てきた堀は、驚きと共に「彼女なら」という気持ちを持っていた。

「彼女も僕も、目の前の目標を一つひとつクリアしていくのが好きなのだと思います。彼女は事故に遭った1年後には大学に戻り、就職のため大阪から誰も知り合いのいない東京に出てきて、車いすで一人暮らしを始めて……と、やりたいことを一つ一つ実現してきました」

 強化選手に選ばれた岡崎は競技団体のコーチやトレーナーの指導を受けられるようになり、堀の出番は減った。だが、家での練習に付き合ったり、送迎をしたりとサポートを続ける。岡崎が練習に打ち込む中、堀も「それぞれの今の位置でやれることはある」と自ら立ち上げたビジネスに時間と力を注ぐ。

「彼女は『東京では見に来てよかったと思ってもらえるようなおもしろい試合をしたい』と言っています。ぜひベストを尽くしてほしい。僕はこれまで通り『できることはやるよ』という思いでいます」

(文中敬称略)(ライター・川村章子)

AERA 2021年2月1日号より抜粋