事態を救ったのは1年前の宝島社の広告(写真右)だった。名画「オフィーリア」に樹木さんが扮し「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というコピーが話題を呼んだ。好きで手元に残していた新聞広告をこの日持参していた。樹木さんが目にとめた。 「『死ぬときぐらい好きにさせてよ』なんて、だから思ったことないのよ。普段から好きにしているから」

 話題はそこから希望のある子でなかった少女時代、ものを持たない暮らし、俯瞰でものを見る癖、お金の話などへと発展し、2時間を超すインタビューとなった。さらに翌日、補足の電話が入った。

「昨日はなんだかえらそうなことを言ってしまったような気がするんだけど。私はとてもそんな分際の人間でないのよ。人(夫)に添うということができない。夫にご飯作ったり、お茶出したりといった当たり前の日常ができていないんです。それをとても恥じているのよ。そのような人間なので、どうぞ過大評価せずに書いてほしい」

 取材は今回きりと思い、個人的に知りたかったことを最後にひとつだけ尋ねていた。  なぜ樹木さんのナレーションはこうも心にしみ入るのか。映画「あん」にあったような詩的な語りも、樹木さんだとなぜ本当のように聞こえるのか。

 うーん。しばらく考えこんだのち樹木さんは言った。

「ナレーションで一番いいなと思うのは森繁(久彌)さんだったわねぇ。私にもわからないけれど……強いて言うなら年月による汚れとすり減りがうまく混ざって、そうなっていくのかなぁ」

 映画監督の崔洋一さんが夫の内田裕也さんを追った番組「ザ・ノンフィクション 転がる魂」でもナレーションを務めた。この夏放送された番組の最終盤、樹木さんは40年以上別居を続けながら別れなかった夫に、温かい眼差しを感じさせる声で伝えていた。

「裕也さん、面白かったわね」

「面白い」は樹木さんにとって最上級の言葉であり、核となる言葉だ。老いの特集でもこう語っている。

「楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中」

 実際、「面白い」と反響の大きかったインタビューだが、そこには哀しさも内包されている。のちの樹木さんの原点をなす「歩き競走」のエピソードだ。

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