だるまちゃんシリーズや『かわ』などの科学絵本。600冊余の作品を送り出した絵本作家の原点は、敗戦体験とセツルメント活動だった。
【写真】親子で楽しむ姿が見られる「かこさとしのひみつ展」はこちら
* * *
4代にわたる読者に愛されている絵本作家・かこさとしさん。5月に92歳で亡くなった、かこさんを偲ぶ会が、川崎市市民ミュージアムで開かれた。
かこさんと関係の深い編集者や絵本作家が、壇上にあがり、思い出を語ってゆく。
「かこ先生の作品がなかったら絵本作家になれていなかった」と言い、『からすのパンやさん』の思い出を語ったのは、ヨシタケシンスケさん。
「子どものことを第一に考えていらした。読んでいる子どもが、自分の力で未来を切り開く人になってほしいという願いから多くの本を送り出したのだと思う」
1926年生まれのかこさんが敗戦を迎えたのは19歳のとき。戦時中、国の方針に疑問を持たずにいた自分自身を反省すると同時に、敗戦後、臆面もなく「戦争には反対だった」「一億総懺悔」などという大人たちに辟易したという。一方、大学の演劇研究会の活動で出会った子どもたちは、シェークスピアでもつまらなければ見ないし、反応に嘘がない。
「子どもたちは僕にとっての生きる希望となりました」(自叙伝『未来のだるまちゃんへ』<2014>から)
大学を卒業したかこさんは、昭和電工に勤めながら、川崎の自宅近くで始まったセツルメント運動に参加するようになる。
「今で言う市民ボランティアのようなもの」というセツルメントでは、学生たちが中心となり、金品を出すのではなく、自らの労働力で子ども会を運営した。
かこさんが作った紙芝居よりも、虫捕りや外での遊びに熱中する子どもたち。悩んだかこさんは、子どもたちを観察しながら、ともに遊び、彼らの世界へ入っていった。セツルメントでの経験は鮮烈で、「子どもたちの現場にいたことが、僕の作品づくりの土台になったことは間違いありません」とかこさんは繰り返し語っている。
59年、『だむのおじさんたち』を出版。かこさんは絵本作家の道へと進む。