このドキュメントに登場する政治家や軍人たちは二流三流の人物ばかりで、共感できる人物がみごとに一人も出てこないし、掬(きく)すべき歴史的教訓も見当たらない。けれども、タイトルロールのナポレオン3世以外の登場人物を誰も思い出せないこの政治的事件を叙したマルクスの本は、書かれてから150年後も世界中の言語に訳されて読まれ続けている。

 読者たちは別に遠い大昔のクーデターの詳細な実相を知りたくて読んでいるわけではあるまい。けれども、マルクスの文体の疾走感、修辞の鮮やかさ、論理の跳躍力は読者を惹きつけて離さない。

 私は『ブリュメール18日』を時評的な文章の一つの理想だと思っている。私がこのコラムで扱うトピックの多くを10年後の読者はたぶん思い出せないだろうけれど、それでも「読み出したら止まらず、つい最後まで読んでしまった」というようなものを書きたいと思っている。

AERA 2018年8月13-20日合併号

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