このコラムを担当するようになったのは2008年3月のことである。最初は養老孟司先生と隔週で寄稿していたが、養老先生が退かれてから、4人の寄稿者が2人ずつ隔週という今のスタイルになった。最初から数えるともう10年になる。
14年に、それまでの寄稿をまとめて単行本にしてもらった。今秋には2冊目が出る。そのゲラを先ほど編集者に戻したところである。
何年も前に書いた時評が、短期間に消費し尽くされることなく、書籍になって読んでもらえるというのは書き手としてはうれしいことである。
だから、このコラムを書く時には「この文章は今から10年後でもリーダブルだろうか?」と自問しながら書いている。
だが、時評のリーダビリティーとはいったい何のことなのだろう。扱われているトピックがその時点ではどれほどメディアを賑わしていても、10年後にはどれだけの人がそれを記憶しているだろう。逆に、扱われているトピックそのものにはそれほどの重要性がなかったにもかかわらず、それを叙した文章だけは久しく読み継がれるということがある。例えば、カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』がそうだ。