「パデル」に「ビリッカー」。誰もが気軽に楽しめる新競技が広がっている。既成概念をなくせば、階段昇降やひと駅歩きだって立派なスポーツだ。
【写真】大きくしたビリヤード台の上で、サッカーボールによく似た球を蹴ってビリヤードを楽しむ「ビリッカー」
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ラケットでボールを打ち返す軽快な音に交じって、瀧田瑞月コーチ(26)の声が響く。
「自分がどういうボールを打ちたいのかイメージしてね……あっ、みんな聞いていないからいいや。次、行きまーす」
指導を受ける20~50代の男女6人が、すかさず反応する。
「聞いてるわよ!」「聞いてるってー」
コーチは「聞いてません! いつも通りです。このメンバーは自由すぎるから」。笑い声があちこちから上がる。にぎやかな練習風景に、見ているこちらも笑顔になった。
6月28日午後7時過ぎ、東京都練馬区内のスポーツ施設での光景だ。テニスコートが何面も広がる施設の一角に、強化ガラスと金網でできた壁に囲まれた奇妙なコートがある。ネットを挟んで黄色いボールを打ち返すのはテニスそのものだが、コートはテニスの半分の広さ。ラケットは板状で網がなく、小さな穴が複数開いている。
スペインで生まれた新感覚スポーツ「パデル」の練習会を取材した。
6ゲーム3セットで勝敗を決めるルールはテニスと大差ないが、サーブは下から打たないといけない。壁を使ってボールを打ち返すところはスカッシュのようだ。2016年12月にオープンしたこの施設は、「パデル東京」と呼ばれ、都内で唯一、専用コートがある。初心者から上級者まで愛好家が連日集う。
日本でパデルコートが初めてできたのは13年10月、埼玉県所沢市だった。スペインでパデルが生まれたのは1970年代。それから40年以上を経て日本に初上陸したことになる。16年6月に本格始動した日本パデル協会副会長の玉井勝善さん(43)らによると、初上陸時、パデルを知る人はほとんどいなかったが、今では約1万2千人まで競技人口が増加。専用コートも千葉県や大阪府、京都府や三重県など国内8カ所に広がった。瀧田コーチのように世界ランキングがつく選手も出始め、隔年開催の世界大会(国別団体戦)には今年初めて、女子がアジア代表として出場権を獲得した。
「欧州や南米と比べると競技人口は少ないですが、30年までに100万人まで増やすのが協会の目標です」(玉井さん)
笹川スポーツ財団が出している「スポーツ白書2017」によると、国内の競技実施人口(推計値)はゴルフやサッカーが700万人規模、野球やテニスが400万人規模で、柔道は44万人、ラグビーは39万人だ。
知名度がほとんどないパデルで100万人は驚く目標だが、その可能性に玉井さんは真剣に期待している。IT事業の経営者を辞めてまで普及活動に人生をかけ、国内パデル界の牽引役となった。年齢や性別、運動歴に関係なく誰でも簡単に始められ、気軽に楽しめる庶民的な競技であり、「エンターテインメントスポーツとしての球技でパデル以上のものを知らない」と話す。一方で、一度始めると奥は深く、世界で実力を競い合うアスリート競技としての魅力も十分にあると言う。