8日間だけでも親に…NICUと家族の物語(※写真はイメージ)
8日間だけでも親に…NICUと家族の物語(※写真はイメージ)

 10年ほど前に社会問題化した「妊婦のたらいまわし」を発端に整備が進んだNICU(新生児集中治療室)。必死に生きようとする赤ちゃんの命の現場であるNICUや死産や流産、新生児死などの赤ちゃんの死の現実を紹介したAERA連載「みんなの知らない出産」には、多くの反響が寄せられ、『産声のない天使たち』というタイトルで書籍化もされた。今回はその中から、8日間だけ親になった家族の物語を紹介する。

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 横浜市の鵜飼礼子さん(49)は、結婚9年目に待望の赤ちゃんを授かった。

 だんだん大きくなるおなかに喜びを感じていた妊娠31週(8カ月)の健診で、心臓の病気が見つかった。すぐに、出産予定の病院から救急車で、都内の大学病院へ搬送された。

 総合病院についてすぐにエコー検査をした医師には「胎児の成長を待って出産し、治療しましょう」と言われ、MFICU(母体・胎児集中治療室)へ入院した。

 翌日の夕方、赤ちゃんの心音が弱ってきた。医師が言った。

「赤ちゃんからSOSです。普通分娩ではたぶん助からない。帝王切開で五分五分です。時間がないから30分で決めてください」

 礼子さんは、1%でも可能性があるのなら、とすぐに帝王切開をお願いした。

 手術開始後ほどなくして、かすかな産声と、「おめでとうございます。男の子ですよ」という言葉が聞こえたが、次の瞬間、医師や看護師の会話が止まった。ただごとではない、と覚悟した。

 体重747グラム、身長29.5センチで生まれた。18トリソミーによる多くの合併症があることもわかった。医師から「今夜までかもしれません」と言われ、涙があふれた。それでも礼子さんが胸の上に抱き上げると、息子は指をぎゅーっと握り、目を見開いた。この子は必死に生きようとしている、と感じた。

 その後、赤ちゃんはすぐに臍帯ヘルニアの手術を受け、NICUへ入った。

 深夜、保育器の中のあまりに小さな我が子の姿を見たとき、泣き崩れた。

「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」

 担当の看護師は優しく言葉をかけてくれた。

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