教育への政治的介入を懸念している。例えば18歳選挙権が初めて導入された16年の参議院選挙では、選挙前に自民党が教員の政治的な発言事例を受け付けるホームページを作成したことがあった。改憲草案に「家族は、互いに助け合わなければならない」と書く自民党政権によって、来年度から道徳が教科化される。教材の文書のなかで子どもが入る店が「パン屋」ではなく「和菓子屋」になれば、国や郷土を愛する態度が育つなどとピント外れの議論もあった。国民統制を図る動きにも見える。

 大学でも15年、当時の下村博文文科相が国立大学に対し、入学式と卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を求めたことは記憶に新しい。戦前ではなく、大学の自治が当然となった時代にだ。安保法制に見られる、憲法解釈すら変えてしまう内閣にとって、自分たちの考え方を押し付けることに躊躇(ちゅうちょ)はないのだろう。

──安倍内閣は目下「人づくり革命」の柱として、選挙の公約にも掲げた高等教育・幼児教育の無償化を進めています。

 安倍政権の「改革」のような拙速な議論ではなく、腰を据えて考える問題だ。例えば高等教育の無償化は教育制度を変えずとも実現できる方法もある。放送大学の無償化だ。「いつでも、誰でも、どこでも学べる」大学として83年に開学した放送大は「文教行政最後のロマン」と称され、学生100万人を目指す壮大な計画だった。しかし現在の学生数はその1割に満たない。これを使わない手はないが、国会議員のなかに放送大を知る人もいないのだろう。

 国立大学だと入学金と授業料で卒業までの4年間で約250万円かかるが、放送大だと70万円程度で、予算も縮小できる。放送大の授業料は年額ではなく、履修科目に応じての授業料であり、納税者の理解も得やすい。こうした案が出てこないのも、場当たり的と感じる理由だ。(構成/編集部・澤田晃宏)

AERA 2017年11月27日号