高橋の店舗には遊具施設「プレイランド」が併設されていて、取材した日も楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿があった。騒動直後は、そこにいるべき子どもたちがいない日が続いたという。遠く離れた店舗で発生した異物混入問題で、多くの店の経営状態が悪化し、オーナーたちは多額のキャッシュを失った。

●24時間営業店の異変

 日本マクドナルドは、原田泳幸が社長だった時代に店舗のFC化を断行。かつては7対3だった直営店とFC店の比率が逆転していた。14年まで、自身も新潟のFCに在籍していた、日本マクドナルド副社長の下平篤雄(64)は、

「FCのフォロー体制が十分ではなかった」

 と感じていた。そこでマクドナルドに復帰した後、原田体制で廃止した「地区本部制」を再導入。全国を中日本・東日本・西日本に分け、それぞれに権限を持たせて決定する仕組みを整えたうえで、地区ごとのフォロー体制を強化した。全国を約20のブロックに分けて、各地区のオーナーを集めて開いた会議にもすべて出席。オーナーたちに、

「どうしてくれるんですか」

「責任をどう取るつもりだ」

 と詰め寄られる場面もあった。前出の三春町店オーナー・高橋がこのとき下平に言ったのは、

「もう一度、“マクドナルドらしさ”を取り戻したい」

 子どもの声が絶えない、笑顔あふれる店舗をもう一度、と。

 実は高橋は、東日本大震災後の12年ごろから、マクドナルドを巡る空気の変化を感じていた。気づきをもたらしたのは、24時間営業の店舗で売り上げの屋台骨を支えていた、夜間営業の売り上げが落ち始めたこと。消費者のライフスタイルや行動パターンに変化が生じ始めていた。

 調子悪いな。そう思いつつ、高橋は楽観視していた。社内の人材育成機関「ハンバーガー大学」の学長も務めた経験があり、マネジメントには自信があった。他店が落ちてもうちは大丈夫。そんな気持ちもあった。

「本質的な問題に気づいていなかった。おごりがあったと思う」

 しかし、14年7月以降、半年の間に持ち上がった二つのトラブルで高橋の店も大打撃を受けた。鶏肉問題後は30%、異物混入問題後は40%近く売り上げが落ちた。何よりつらかったのは、異物混入問題の後、クルーに言われた一言だ。

「これからは、どんな顔で『いらっしゃいませ』と言えばいいんですか」

 答えられなかった。経営状況が悪化し、各時間帯のクルーの枠を減らさざるを得なかった。なかには学費を高橋の店でのアルバイトで稼いでいるクルーもいた。申し訳なさそうに退職していく姿を見るのはつらかった。

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