作家 久坂部羊さん(61)/筆名はお気に入りの作家名と本名の組み合わせと、ヒツジ年生まれであることなどから。患者の言葉から発想が膨らむこともある(撮影/大嶋千尋)
作家 久坂部羊さん(61)/筆名はお気に入りの作家名と本名の組み合わせと、ヒツジ年生まれであることなどから。患者の言葉から発想が膨らむこともある(撮影/大嶋千尋)

 臨床に研究に、ただでさえ超人的な能力を期待される医師。それにとどまらず、別の才能をも開花させている「スーパー医師」たちがいる。

 医師と並ぶ難関資格の双璧と言えば、司法試験だろう。日本における医師、弁護士の「ダブルライセンサー」の先駆けが、獨協学園の理事長を務める寺野彰氏(74)だ。

 少年時代は法学を修めて官僚になることを望んでいたが、母の強い意志に押し切られて、東京大学医学部に進学した。折しも学生運動真っ盛り、無給で不安定な卒業後のインターン制度の廃止などを唱え、闘士として名をはせた。そこで感じたのが、「医学は純粋科学ではない。社会問題抜きには語れない」ということだった。

●社会に根差した医師に

 卒業後、浜松市の病院に勤めていたときに結婚。東京に戻ろうかと考えた矢先に、近くで診療所を開いていた義父が倒れ、診療所を手伝うことになった。診療所では診療が忙しい上に、環境も整っていないため医学研究ができない。それならば、好きな法学を勉強しようとの思いが頭をもたげてきた。

 200キロ以上離れた東京まで車を駆って、山ほどの法律書を買い込んで帰った。診療の傍ら、ほぼ独学で3年目。司法試験に合格したのが32歳の時だった。

 2年間の司法修習を終えると、「どっちつかずになる」のを嫌って、軸足を医師業に戻した。消化器内科医としての腕前を一流と認められるまでに上げ、薬のように飲み込むだけで、大腸などの消化器の内部の画像を撮影できる「カプセル内視鏡」を日本に導入する立役者になった。また、獨協医科大学の病院長、学長を歴任した。

 だからといって、弁護士業も諦めたわけではなかった。1998年に弁護士登録し、主として患者から医療訴訟を持ちかけられた弁護士仲間の相談に乗った。今は週2回、弁護士の仕事をして、医療以外の事件を手掛けることもある。

「70歳も過ぎたことだし、法律に根差した社会活動をやるのもいい」

 そんな中でも、週1回の回診は欠かさない。「週に8日は欲しい」となお精力的だ。

 そんな寺野氏の背中を見て、古川俊治参院議員(自民党)らが後に続いた。そして、2004年の法科大学院開設で、いろんな経験を積んだ社会人に法曹界への門戸を広げようという動きが強まり、新世代の医師兼弁護士が次々と誕生している。

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